はじめに
人里から少し離れた山裾の森の中に18番札所の恩山寺はあります。
寺へと上がって行く山門の脇に、空海が植えたとされる毘蘭樹(ビランジュ)の大木がありました。
ビランジュというのは、博打の木の異名で、樹皮がたえずはげ落ちることから、博打に負けて裸になるのに例えた命名です。
空海ゆかりということからインドの毘蘭樹と呼び伝えているそうです。
毘蘭樹(ビランジュ)の大木
境内
境内案内図
仁王門
屋根に草が生えてみたりしている、鄙びた状況で趣がありました。
境内への階段
駐車場から歩いて上って行くと、境内への階段があります。
大師堂(左)と御母公堂(右)
大師堂には空海が刻んだとされる弘法大師像ですが、秘公開です。
空海の母親である玉依御前を祀る御堂には、空海作といわれる「御母公像」と母君の髪の毛が安置されているそうです。
弘法大師御母公御剃髪所
地蔵堂
少し朽ちかけているような地蔵堂には、地蔵菩薩像と釈迦の十大弟子の像があります。
本堂への階段
本堂
本尊は薬師如来さまです。
縁起
寺伝によると、聖武天皇の勅願によって行基が開創しました。はじめは女人禁制の道場で、女性の立ち入りが許されませんでした。
9世紀初め、空海がこの寺で修行していた時に、空海の母である玉依御前が訪ねてきました。
空海は修法によって女人禁制を解除して母を迎え入れました。
空海の母である玉依御前は寺で出家して剃髪し、髪を奉納したことから、「玉依御前の剃髪所」と云われています。
このことから空海は自身の像を刻んで奉納し、現在の寺名に改めたとされています。
14世紀初めには源空によって再興されましたが、16世紀末には長宗我部元親の兵火によって焼失してしまいました。
江戸時代に徳島藩主蜂須賀氏の庇護を受けて復興し、19世紀初めごろに現在の諸堂が建立されています。
境内全景
おわりに
山腹の緩い斜面の森の中に伽藍が建立されていて、心が洗われるような静かな環境でした。
空海の母が生地の善通寺からここまでやって来る道のりを考えると、当時は途方もない道のりであったかと思います。
それでも母の一念で、子どもの空海に遭いに来たことを思うと、母親の子どもに対する深い愛情を感じることができました。