はじめに
太平洋の荒波を遮る堤防のような半島、横波半島の先端に位置しているのが36番札所青龍寺(しょうりゅうじ)です。
かつては湾を船で横断して参拝していたようですが、現在は横波黒潮ラインの大きな橋を渡って行くことができます。
お寺の周りには人家もなく、厳しい修行の地としての趣がある所でした。
朝青龍
モンゴル出身の第68代横綱は、「朝青龍 明徳」(あさしょうりゅう あきのり)さんです。
四股名は、親方である元大関「朝潮」(室戸出身)、36番札所の青龍寺、明徳義塾高校にちなんで名づけられています。
四股名は日本で関係している大切な人やところから付けられていて、朝青龍さんの思いがよく表れていると思いました。
青龍寺の本堂へ上がる階段
1997年モンゴルから高知の明徳義塾高校に相撲留学しています。
明徳義塾高校は青龍寺の近くにあって、青龍寺の170段もある急な階段を上がり降りして体を鍛えていたようです。
仁王門から本堂まで、急勾配の階段がまっすぐに伸びていました。
蟹が池と明徳義塾高校竜国際キャンパス
お寺の下にある駐車場からの眺めです。
青龍寺の近くに明徳義塾のキャンパスがあります。
境内
多宝塔・仁王門・三重塔・瀧行の瀧・本堂・不動像・西国33観音
多宝塔
駐車場のすぐ前に建立されていました。
仁王門
ここから階段を上がりきった所に本堂があります。
三重塔
仁王門を入って階段を上がっていくと、左手に見えます。
瀧行の滝
階段の途中に、水子地蔵尊と滝行の場所があります。
本堂
本尊は波切不動明王さまです。
本堂前には左右に不動明王さまの像
西国33観音像
縁起
9世紀の初めに空海が唐より帰朝した際、縁のある地を求めて独鈷杵(どっこしょ)を投げたところ、当地の山中の松の木に当たりました。
このことを嵯峨天皇に奏上したのを契機として創建されたとされています。
唐に留学していた時の師である恵果和尚がいた青龍寺にちなんで、同じ寺院名にしたといわれています。
本尊の波切不動は、空海が唐に渡る航海の途中に暴風雨にあった時に、不動明王が剣で波を切って難を逃れて救われたことから、空海がその姿を刻んだものとされています。
江戸時代、荒廃していたお寺を2代目土佐藩主が再興しましたが、1700(宝永4)年に地震と津波で大きな被害を受けてしまいます。
江戸末期になって再建されました。
おわりに
今は、大きな橋があり、自由に便利に行き来が出来る場所ですが、昔は人里離れた絶海の孤島といった場所だったと思います。
修行の場所としては絶好の場であったのではないでしょうか。
朝青龍も高校時代に、この地で厳しい相撲の修行をして、のちに偉大な横綱となっています。
昔も今も、青龍寺は志ある人の心身を鍛える修行地だと思いました。