はじめに
吉野川の支流、鮎喰川を少し遡った山肌に建立されているお寺です。
本堂前の岩肌がむき出しになった「流水岩の庭」は、長年にわたり風雨にさらされ自然に形づくられました。
荒々しい地面がむき出しになっている境内は、まさに修行の場と呼ぶにふさわしい景観でした。
境内
山門はなく、寺名を刻んだ石柱が立っているだけでした。
自然石をそのまま削ったような階段を上がって行きます。
本堂
アララギの木
本堂前にある幹回り8メートル、高さ10メートルのアララギの巨木には、小さな「アララギ大師」が祀られています。
地蔵堂
地蔵菩薩像には子供の夜尿症、夜泣き、歯痛、足の痛みなどの治癒を祈願します。
縁起
寺伝によると、空海がこの地で修行をしている時に弥勒菩薩さまを感得しました。弥勒菩薩さまは、釈迦が亡くなられてから56億7千万年後この世に現れて、人々を救済するといわれている未来仏です。
空海は感得した弥勒菩薩さまを霊木に刻み、本尊として堂を建立して祀りました。
弥勒菩薩さまを本尊としているのは、四国霊場の中で唯一、このお寺だけです。
16世紀末、長曾我部軍の兵火によって焼失してしまいます。
江戸時代になって徳島藩主蜂須賀家によって現在地より下側の地で再興されますが、1815年に元の山上への建て替えを願い出て、現在地に移転しました。
その際、結晶片岩の硬い岩盤を削って寺域を造成しています。このため荒々しい地面がむき出しの境内となりました。
おわりに
岩肌がむき出しになっている境内は、バリアフリーとは程遠い環境で、車イスで本堂にお参りしようとしても自力では無理です。それほどまでに岩が波打っており、ごつごつとした境内に足を取られながら皆さん参拝しています。
修行の場としての厳しい環境が、そのままお寺となっているような札所でした。