はじめに
徳島の阿波踊りは毎年、開催されている徳島の一大イベントです。しかし残念なことに、昨年は新型コロナウイルスの影響により、戦後初めて中止されてしまいました。
阿波踊りを楽しみにしていた徳島の人たちや観光客、関係する人たちにとって、ショックなことでした。
何とか今夏は、規模を縮小して開催される方向のようです。
阿波おどり会館
徳島市のシンボルでもある眉山の麓に、阿波踊りを紹介する「阿波おどり会館」があります。
1Fは、徳島の名産品やお土産を販売する「あるでよ徳島」
2Fは、阿波踊りの実演を見学することができるホール。
3Fは、阿波踊りの歴史を学ぶことができる「阿波おどりミュージアム」
4Fは、練習場。
5Fは、眉山山頂に繋がるロープウェイの乗り場です。
阿波おどりミュージアム(3F)
3Fでエレベーターを降りた、すぐ目の前に迫力ある踊りの人形が再現されていました。まるで本物と見まがうばかりです。
昔、使われていた琵琶・バイオリン・胡弓などの鳴り物が展示されていました。バイオリンで阿波おどりとなると、どのようなものなのでしょうか。見てみたいですね。
昔の街並みとおどりの様子がミニチュアで再現されています。
かわいい人形の踊り子たちが再現されていました。
阿波おどりの歴史
起源
400年の歴史を持ち世界にも知られている阿波おどりの起源については、徳島県のHPで次の3つの説が紹介されています。
築城起源説
16世紀末に蜂須賀氏によって徳島城が築かれた時に、お祝いとして城下の人々が踊ったのが始まりとする説です。
風流おどり起源説
阿波おどりの特色である組おどりが、能楽の源流をなすといわれる「風流」の 影響を強く受けているといわれており、これを原型とする説です。
盆おどり起源説
旧暦の7月に行われた盆おどりであるとする説です。
他にもあるようですが、はっきりとした期限を特定することはできないようです。
江戸時代
踊りが盛んになると、徳島藩は踊りに対する規制を強化します。
「盆踊りは旧暦7月の3日間に限ること。」「家来たちの外出を禁じ、どうしても踊りたければ門を閉ざした屋敷内で踊ること。」「諸寺院に踊り込むことを厳禁する。」といった触れが出されました。
老いも若きも身分も関係なく、踊っていたのでこういった禁制がなされたのでしょう。それだけ阿波おどりが盛んであった証だと思います。
明治以降
明治になって以降は戦争に翻弄されますが、お盆以外でも景気づけやお祝いの度ごとに阿波おどりが披露されるようになりました。
阿波おどりのレジェンド、花街で活躍していた1907(明治40)年生まれの「お鯉さん」が唄う「よしこの」(踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…と唄われる)は100年を経た今も、人々の心を捉えています。
戦後
戦争の廃墟の中から阿波おどりが再開され、日本国内だけでなく世界にそのおどりが知られるようになっています。
おわりに
まさに徳島の文化そのものである阿波おどりがコロナの直撃を受けています。しかし長い歴史の中で、いろんな苦難があったとしても、阿波の人々は踊りを愛し続けてきました。また近々、元通りの阿波おどりの賑わいや活気を見せてくれることと思います。