はじめに
46番札所の浄瑠璃寺とはまた趣の違った、47番札所八坂寺があります。
その名の通り、山の中腹の少し坂になった所に位置しており、門前から階段を上がって本堂に至るお寺です。
車の駐車場は、お寺のすぐ横にあるので階段を上がることもなく、歩いて本堂へ参拝することができます。
境内
駐車場から大師堂・本堂へ
山門
独特の形態をしている山門には、極楽浄土を表す、色彩豊かな天井画が描かれています。
本堂
本尊は恵心僧都(えしんそうず)の作といわれる阿弥陀如来像で、秘仏とされています。
閻魔堂
本堂と大師堂の間に閻魔堂があります。「極楽の途」と「地獄の途」が描かれています。
大師堂
宝篋印塔(ほうきょういんとう)
宝篋印心呪経を納めるために造られはじめたといわれており、鎌倉時代のもののようで松山市指定有形文化財となっています。
救いの手
お遍路さんが転げ落ちた時についた手の跡と言われており、怪我がなかったことから「九難を去る救いの手」とされています。
いやさか不動尊
ますます栄えるという「いやさか不動尊」が祀られています。かつては修験道の根本道場として、背後の大堂山で多くの僧が厳しい修行をしていたようです。
毎年、お不動さまと一体となる火渡り修行が行われています。
神變大菩薩
神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)は光格天皇が役行者に贈られた諡(おくりな)です。
縁起
寺伝によると役行者(えんのぎょうじゃ)によって開創され、8世紀初めに、文武天皇の勅願によって伊予の国司である越智氏が堂を建立したとされています。このとき、8ヶ所の坂道を切り開いたことから八坂寺と名付けられ、また、ますます栄える「いやさか(八坂)」にも由来しているともいわれています。
その後、荒廃してしまいますが、9世紀初に来空海(弘法大師)が再興しました。 本尊の阿弥陀如来像は源信(恵心僧都)の作と伝えられています。
その後、紀州から熊野権現を勧進して十二社権現とともに祀り、修験道の根本道場として栄え、多くの僧兵を抱える大寺となりました。
しかし16世紀末に、兵火によって焼失してから、寺域を縮小しながら現在に至っています。
おわりに
極彩色豊かな天井画のある四国霊場八十八ヶ所には珍しい山門を有する札所です。
修験道という厳しい信仰の場ですが、かわいいお地蔵さんやきれいに整備された境内の雰囲気に心が和まされます。
お遍路さんたちを優しく迎え入れてくれるお寺だと思いました。