はじめに
「名勝 阿波国分寺庭園」で名高い15番札所国分寺には、住宅が点在している中の細い道の先に、立派な本堂をはじめとした伽藍が立ち並んでいます。
発掘調査がなされたことで、創建当時には1辺が218mもの広大な寺域を有していたことが確認されました。
1200年以上も前に巨大な寺院が建立されて以来、紆余曲折を経ながら、この地で信仰を繋いでいるお寺です。
境内
山門
自然石に「聖武天皇勅願所」と刻まれた碑が山門の前に建てられています。
本堂(瑠璃殿)
大師堂
烏瑟沙摩明王堂(うすさまみょうおうどう)
烈火でもって不浄を清浄と化する明王さまで、寺院の便所に祀られることが多いとのこと。トイレの神様といったところでしょうか。
礎石
環溝型という形式で造られた七重塔の心礎です。創建当時の遺物が残っており、当時の繁栄を偲ぶことができます。
名勝 阿波国分寺庭園
阿波で採れる「青石」(緑石の結晶片岩)を多く用いた石組と中島がある枯池で構成されています。豪快な巨石の使い方は桃山時代の特徴を示しているとして国の名勝に指定されました。江戸時代末期に本堂の建立に伴って、現在の庭園となったようです。
縁起
741年に、聖武天皇が発した国分寺建立の詔によって阿波に建てられました。
寺伝によると、行基が薬師如来を刻み、聖武天皇から釈迦如来像と大般若経、光明皇后の位牌厨子が納められたといわれています。
『続日本紀』に天平勝宝8年(756年)、聖武天皇の周忌に際して阿波国を含む26か国の国分寺に仏具等を下賜したとの記載があります。
当初は法相宗の寺院として七堂伽藍を有する大寺院でした。
9世紀初めに、空海が来訪してから真言宗に改宗しています。
16世紀末、土佐の長宗我部軍の兵火によって以降、荒廃してしまいます。
18世紀中期に徳島藩主蜂須賀家によって復興され、この時、真言宗から曹洞宗に改宗されました。
おわりに
りっぱな本堂と見事な庭の見ごたえがあるお寺でした。徳島の「青石」も素晴らしいものです。庭の手入れはとても手間がかかり、大変ですが、いつまでも残って欲しいものです。
千年以上の歴史があるお寺は、地元の人々をはじめとした多くの信者によって、支えられるだけのものがあるのだと思いました。