はじめに
80番札所である国分寺は、741年、聖武天皇が各国に国分寺と国分尼寺を建立することを命じたことに淵源があります。
現在の国分寺よりもはるかに広い境内に、壮大な金堂や巨大な七重塔はその威容を誇っていました。
金堂や七重塔の礎石が、国分寺境内の中に当時の位置のままで残っており、寺の壮麗さを知ることができます。
讃岐国分寺跡
跡地の発掘調査は1983(昭和58)年から行われています。
調査の結果、東西220m、南北240mの寺域があり、鐘楼跡や僧房跡・掘立柱建物などが確認されてきました。
翌年から、地方にある貴重な文化財として保存し整備する事業が始まっています。
築地塀
高さ約4mにもなる塀が寺の周囲を囲んでいました。奈良時代と同じ工法で、一部が復元されています。屋根も出土した瓦を複製したものを使用しています。
僧房跡
遺構の残存状況が良かったので、僧房跡の東半分を建物で覆って公開されています。
内部には、当時のお坊さんの生活の様子分かるように部屋や人形・調度品が再現されています。
伽藍配置模型
遺構全体を解りやすく理解するために、石材を使って10分の1の縮尺で制作されています。
金堂・七重塔・講堂・鐘楼・僧房など忠実に再現されているようです。
もし七重塔が木造で本当に再現されると、驚くほどに高くて大きなものになるのでしょう。
掘立柱建物跡
鐘楼跡
鐘をついて時刻を知らせていたようです。基壇が復元されていました。
讃岐国分尼寺跡
国分寺跡から2kmほど高松寄りの住宅街の中に、国分尼寺跡があります。
聖武天皇が全国に建立を命じた国分尼寺は、正式には「法華滅罪之寺」といいます。
発掘調査によって講堂跡、尼房跡が確認されていて、180m四方の敷地であったようです。
現在は法華寺が建っています。
讃岐国分寺資料館
讃岐国分寺跡のすぐ東隣に、発掘調査で出土した瓦・土器などを展示した資料館があります。
イラストやレプリカ・模型を使って、史跡国分寺跡を解りやすく解説してくれています。
真ん中に、金堂のミニチュア模型が置かれていました。ボタンを押すと、模型の扉が開いて、中の仏像が見え、解説が流れきます。
発掘された品々が展示されています。1000年以上前の人々の生活の一端を窺うことができました。
天平時代の男女の服が綺麗に作られて、展示されていました。
おわりに
古の歴史を感じることができる史跡が、今に残されて復元されている場所です。
現在の80番札所国分寺は、その中にあって多くの参拝者で賑わっています。
昔と今が連続して存在していることに、不思議な感じを持ちました。
80番札所国分寺については、こちらをご覧ください。↓↓↓