はじめに
住宅街の中にある80番札所国分寺は、周りをかつての国分寺跡を公園とした区域に囲まれています。
札所内部にも、創建当時の金堂や七重塔の巨大な礎石が残されていて、往時の繁栄を偲ぶことができます。
歴史や伝統を感じることが出来る境内では、多くの巡礼者がお参りをしていました。
境内
仁王門
創建時の中門の場所とされています。
参道
仁王門から本堂までの石畳の参道は松林に覆われていました。
ミニ八十八ヶ所巡り
松林の中には近くの里山にあった石仏を、昭和のはじめに境内に移設したミニ八十八ヶ所が整えられています。
閻魔堂
参道の左側にあります。
鐘楼
銅鐘は平安時代前期の鋳造とされ、重要文化財です。銅鐘には面白い話が残っています。
高松藩主生駒一正は、寄進した田地と引き換えに高松城の鐘にしようとしました。
ところが城に置いても音が出ません。さらに疫病が蔓延したり自身も病になったりしてしまいました。ある時、枕元に鐘が現れて「帰りたい、帰りたい」と泣いたために、お寺に戻されたということです。
金堂礎石
松の木の間に、巨大な石がたくさんあります。かつての国分寺金堂の礎石です。
全部で33個あり、礎石をもとに復元すると東西28m、南北14mもある巨大な建造物であったそうです。
七重塔礎石
かつての国分寺七重塔の礎石です。
中心になる柱の礎石の上には石塔が置かれています。
京都にある東寺の五重塔より大きかったといわれています。
本堂
かつての講堂跡にあり、鎌倉中期に建造された重要文化財です。60年に1度だけ開帳される秘仏で、次回は2040年となっています。
本尊は重要文化財になっている十一面千手観世音菩薩です。
ケヤキの一木造りで、5,6mの大きさから丈六仏といわれます。
およそ500年前の、1528年に書かれた「同行五人・・・」という落書きが見つかりました。
弁財天
讃岐七福神のうちの一つである弁財天が祀られています。
弁財天は水の神様だとされており、美や金運、芸事にご利益があるとされています。
福松
黒松の葉が自然に密集してまとまっている珍しい松なので、福松と呼ばれるようになったそうです。弘法大師の霊験によるものといわれています。
大師堂
昭和初期に建立された鉄筋コンクリート造の大師堂です。
半地下構造の三階建てで、初層には納骨堂があり千体地蔵をお祀りしています。
仏足跡と稚児大師
大師堂の入り口前に並んでありました。
大日如来堂
弘法大師の「幻の大日如来像」を再現するプロジェクトが進行しています。
1200年前に東寺の本尊として造られた大日如来像は、1497年に戦乱で焼失してしまいました。この大日如来像を、東寺の寺院記録である「東宝記」に基づいて、忠実に再現しようと取り組んでいます。
2021年には完成し、この堂にお祀りされる予定です。
良縁社
愛染明王を本地仏とする神様をお祀りしており、良縁成就や夫婦円満にご利益があるとされていますので、よ~く拝んでおきました。
願掛大師
金箔を貼ったお大師様なので、何倍ものご利益が確実にあるのでしょう。
縁起
国分寺は741年に聖武天皇が発した国分寺建立の詔によって建立され、行基が十一面千手観世音菩薩を本尊として開基されたとされています。弘法大師が本尊を補修して霊場に定めました。
天正の兵火によって伽藍はほとんど焼失してしまいましたが、江戸時代になり、讃岐高松藩松平氏によって庇護され、現在に至ります。
特別史跡
創建当時の遺構がよく残っているので、境内の全域および周縁が国の特別史跡に指定されています。
文部科学大臣によって指定された史跡のうち、特に重要なものが国の特別史跡です。
吉野ケ里遺跡、石舞台古墳、平城宮跡、姫路城跡などがあり、四国では讃岐国分寺が唯一指定されています。
おわりに
住宅街の中に、1000年以上前からのゆかりがあるお寺には貴重な遺跡が残されていました。
歴史を感じながらも、あちこちに世俗的な現世利益をお願いすることが出来る仏様や神様が祀られていて、ついつい、いろんなことをお願いしてしまいました。
でも、お願いが叶っても、叶わなくても、また来てみたいお寺です。