日記は「日」の記録
週刊はてなブログにwebライターでDPZ編集部の古賀及子さんのインタビュー記事がUPされていました。
『毎日、日記を書く原動力は……「ひとつもわからない」』という題名でした。
2018年からほぼ毎日、日記を書き続けておられるということです。
私も100日余り連続で書いてみて、これからも出来れば続けていきたいと思ってはいるものの、どうやったらそんなに書き続けられるのかと思い読んでみました。
彼女のきっかけは、ライターのスズキナオさんが毎日のようにまとまった文章量の日記を書いて更新されているのを知り、私もやってみようということで書き始めると意外と書けたということです。
動機は単純だと思いますが、やはり書くことに対する関心は人一倍ある方なのではないでしょうか。そうでなければ何年も連続して書けるとは思えません。
日記は「日」の記録なのであったことをそのまま書けばいい。
あったことをそのまま書くだけで、伝えたいこと(メッセージ)はないし、感想も書かないそうです。
事実だけを書いても「あなたが切り取った事実」という選択があるので、そこに書いた人のオリジナルがあるということです。
その通りですね。同じものを見たり体験しても、それを文章にすれば皆、違ったものになります。
何を切り取って書くかも違いますよね。だから、あったことをそのまま書いただけでその人独自の文章になります。
どうしても文章を書くと、何かを伝えなければならないとか、うまく感想を書かなければいけないと思ってしまいがちになりますが、ありのままの事実を書くだけで良いとなると、気持ちも楽になります。
それが日記の良さだと思いました。
しかし、書くための努力は惜しまないようです。それがメモを取るという行動です。
古賀さんは一日4個ぐらいでもいいからメモを取っていると語られていますが、これを実践するとなると大変です。やはり陰ながらの努力は必要です。
最後に、地球上に何十億人もいる内の一人の記録である日記はオリジナリチィーがあるし、今の時代、それをネットでたくさんの人に読んでもらえることはとても面白いことと語られています。
もっとたくさんの人に読んでもらえるように英訳の準備もしているようです。
毎日の事実の積み重ね、それも市井にいる一人の人の記録を、もし100年後の人が読み返すととても貴重な記録となるのでしょうね。そうした記録を残しておいて欲しいとも思うし、そんなことは考えずに気楽に書き続けていって欲しいとも思いました。
瀬戸内寂聴さんに書き続ける秘訣を聞きたい
時々、新聞に瀬戸内寂聴さんが文章を書いています。日々の出来事や出会った人たち、自分の思いを書き綴っています。
何といっても100歳になろうかという人が書いているので、読んでいて含蓄があるというか考えさせられるというか、そういう文章です。
寂聴さんは良い悪いは別にして、私のような普通の凡人にはない人生経験が豊かなようですし、そこから来る人生哲学も多くの人に影響を与えるものだと思います。
そのような人が書いた文章の内容も素敵なのですが、それよりも書き続けていることに尊敬の念を禁じ得ません。
ブログを書き始めてまだ2か月余りですが、書き続けることの難しさをひしひしと感じています。
一文字一文字、命を削って書かれている方には申し訳ないような文章を書き散らかしているのが現実です。
書いたからといって、それがどうしたで終わってしまうものばかりです。
寂聴さんはどう思われるでしょう。一度、聞いてみたいような気がします。
何とか続けてブログ100日目
ブログに投稿を始めてから、6月15日で100日目となります。この間、姉の助けを受けながら、なんとかここまで続けて来られました。
振り返ってみますと、こうして続けられた一番の理由は私の稚拙な内容の文章を読んでくださった皆様がいたからこそであったと思います。
また、書いたものに星印を付けて頂き、とても大きな励みになりました。
星印を付けるという「はてなブログ」のアイデアで、読んでいただけているというだけでなく、励ましてもいただきました。この機能があったからこそ、途中で挫折することなく何とか続けてこられたのかもしれません。
さまざまな方々に対して、誠に感謝の念に堪えません。ありがとうございました。
はじめは見ず知らずの方にブログを見て頂くことは、知らないからこその気軽さがあると考えていましたが、やはり自分の書いた文章に対する責任を負っていることに思いを致し、推敲を重ねながら投稿してまいりました。
推敲を重ねても、これだけの文章ですので我ながら情けないものです。
他のブログを拝見しますと、300、400と投稿されておられる方は珍しくありません。
それだけ有意義な内面や体験をお持ちの方がたくさんおられ、そのような方のブログはとても充実したものであることを羨ましく思ったりします。
私のブログが、何か人生の教訓のような意味深長なことやなるほどといった専門的な内容であればよいのですが、特段、世のため人のためになるようなものではなくて単なる書き物といったところです。
定年後の自己満足のような文章であることに、時々、恥じ入ってしまいます。
しかし今後も、おそらくはこれまで書いてきたような内容であることに変わりはなく、何か皆様に有意義な内容をお届けできる訳でもないかと思ってしまいます。
ただ何故かはよく分かりませんが、こうして何かを書くことは自分にとっては形として残るものであり、いわゆる何かを作る活動をしていると実感できることです。
何かを生み出すとか作り出すといったことにまったく関係のなかったこれまででしたので、ある意味、自分なりの創作活動だと思っています。
そうした場を与えてくれたのが、このブログ投稿でした。
寂聴さんまでとはいきませんが、何とか続けていきたいと思います。
日々、何かを書き記すことは難しいことだと痛感しております。
どこまで出来るかは分かりませんが、これからも書くこと書き記すことの意味を自己検証しながら、細々と続けていくことができたらと思っております。