定年後の生活ブログ

定年後に行政書士となり、四国のことを発信しています

京都の「東寺」(教王護国寺)と晴明神社に行きました

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東寺の五重塔

はじめに

上りの新幹線で京都駅近くになると右手方向に東寺の五重塔が見えます。

五重塔を見ると京都に来た、という実感が湧いてきます。

下りの新幹線で東京方面から来られる方は、多分、京都駅を出発した時に左手方向に見えると思います。

私にとっては京都タワーよりも京都を感じさせてくれるランドマークです。

十数年前に京都へ行った時、東寺でお土産物を売っているお店に般若心経のハンディ版があったので買い求めました。

その時は観光客の方も少なく、静かな境内を散策することが出来ました。

「般若心経」について、詳しくはこちらをご覧ください。↓↓

www.teinenoyaji.com

あわせて晴明神社へも行ってきました。こじんまりとした神社でしたが、趣があり素敵な神社でした。 

東寺とは

歴史

 東寺は平安京の遺構で、1994年に世界遺産として登録されています。

桓武天皇が平安京に遷都した時に、羅城門を挟んで左右に官寺としての東寺と西寺が設立されました。どちらも王城鎮護を担う重要な寺院でした。

しかし西寺も羅城門も歴史の中に埋もれてしまい、東寺だけが1200年の間、残りました。

嵯峨天皇の時、唐で密教を学んできた空海にこの東寺を託し、大日如来を中心に据えた密教の根本道場として誕生したのです。

その後、幾多の戦乱を経ても戦禍を免れてきましたが、1486(文明18)年の文明の土一揆で多くの伽藍や楼門を焼失しました。

復興できるかどうか危ぶまれましたが、桃山時代に金堂が再建され、新しい薬師如来、日光菩薩、月光菩薩も安置されました。

南大門・講堂も含めて、ほぼ元の姿を回復しました。

名称

空海は嵯峨天皇から東寺を託された時に、「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」と名付けたようです。

このため略称として教王護国寺と呼ばれています。

宗教法人としての登録は「教王護国寺」ですが、歴史的文書にはどれも専ら「東寺」が使われているようです。

真言宗的には「教王護国寺」、歴史的には「東寺」といったところでしょうか。

国宝:五重塔

五重塔も空海が建立に奔走したものです。

高さ54,8メートルは木造としては日本一の高さです。

創建以来、何度も焼失してしまいましたが1644年に徳川家光の寄進で再建され、現在の塔は5代目にあたるそうです。

西郷隆盛がこの五重塔に上って鳥羽伏見の戦況を見ていたということもあったようです。 

わたしの夢

京都に行くたびに、一度は何処からか東寺の五重塔を見ることが出来ます。

そのたびに東寺の近くに引っ越して、東寺まで毎朝散歩して、ヨガマットを敷いた上で五体投地をしてみたいなと夢見ています。

毎日するとご利益があって、何故か健康になれるのではないかと思ったりするからです。

四国で夢見る還暦過ぎでした。

晴明神社f:id:teinenoyaji:20200527163913j:plain

京都の堀川沿いにある晴明神社へ行ったことがあります。

祭神は天文博士の安倍晴明です。

陰陽師として活躍し、その功績を偲んだ一条天皇から清明神社が創立されたようです。

テレビで安倍晴明のドラマをしていたので思い出しました。

かつて参拝したことがあり、当日は雨模様で人影も少なく落ち着いた雰囲気でした。

厄除桃

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厄除桃という桃のオブジェが設置されており、陰陽道では古来から桃は魔除け厄除けの果物とされているそうです。

自身の厄をこの厄除桃に撫で付けてくださいとあったので、手でいっぱいなでなでしておきました。

自分の何が厄なのかよく分からなかったのですが、取りあえず厄払いが出来たということで何となくの気持ちになったものです。

今年はコロナの影響で厄年のようなものなので、桃の季節には桃をいっぱい食べて厄払いが出来たらいいと思います。

迷信だとは思いますが、昔から人は最後は神頼みで祈ってきています。

人知を超えた自然の営みの中で人は生かされていることを忘れてはいけないと思います。

それも人の営みとして大切なことなのではないでしょうか。

今の状況が良くなって、また、京都へ行きたいものです。

その時は晴明神社へ行って、厄除桃をいっぱい、なでなでしたいと思っています。