薬師如来さまを祀る小さな祠にまつわるお話
一宮寺の境内には、薬師如来さまを祀っている小さな祠があります。
「地獄の釜とおばあさん」
昔むかし、一宮寺の近くに意地悪なおばあさんが住んでいました。
おばあさんは「お寺には地獄の釜の煮えたぎる音が聞こえる祠があって、頭を入れると抜けなくなる」と人々がうわさをしているのを聞きました。
そんなことは無いだろうと思い、試しに頭を入れるとたちまち扉が閉まって頭が抜けなくなりました。本当に地獄の釜の音が聞こえてきたのです。
おばあさんがどんなにしても扉は開かず、頭は抜けません。
もう意地悪はしませんと涙ながらにお祈りすると、扉はすっと開きました。
それからのおばあさんは人が変わったように優しくなり元気に過ごしたそうです。
境内
案内図
仁王門
仁王様は定朝31世、運慶28世と称する江戸後期の仏師:赤尾右京の作とされています。
埋め石
仁王門をくぐったすぐの右下に、鳳凰丸石・鳥獣戯画石・巴丸石の3種の石が埋め込まれていました。
りえとまことの夫婦槇(めおとまき)
結婚式を目前にして急逝されたお二人の供養と来世で結ばれることを祈念して槇の木が植樹されています。
結ばれるはずであったお二人が、不幸なことにあの世に旅立ってしまったのでしょうか。
そうであれば、ゆかりのある方々はどんなにか悲しい思いをしたことでしょう。
お二人の思い出のよすがになると共に、伝説となるように、槇の木が何百年もこの地で存在して欲しいものです。
枯山水の庭園
境内は京都の高名な造園家である藤井稔氏による庭園が整備されており、よく手入れが行き届いていました。
鐘楼
手水舎
いい感じに苔むした屋根に歴史を感じます。
本堂
弘法大師が刻んだとされる聖観音菩薩が本尊です。
大師堂
天井一面に先祖供養・家内安全を祈願した多くの灯籠が天井から吊り下げられています。
一宮御陵(三基の塔)
孝霊天皇(こうれいてんのう)・百襲姫命(ももそひめのみこと)・五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)の供養塔といわれています。
由緒
一宮寺は7世紀初めに法相宗の祖である義淵が開いたといわれ、大宝院と称していました。
8世紀初めに讃岐一宮として田村神社が建立され、その別当寺となった後に行基が一宮寺と改めたとされています。
9世紀初めには弘法大師が一宮寺に訪れて刻んだ聖観音菩薩を本尊として、八十三番札所の霊場として真言宗に改宗しました。
古来、田村神社と一宮寺は一体であり同一場所にありましたが、17世紀後半、高松藩は田村神社との神仏分離を命じ現在地に移転しています。
明治初期の神仏分離より、200年も早くに神仏の分離が行われています。
稲荷堂
おわりに
隣にある田村神社に比べるとこじんまりとしていますが、静かで落ち着いた雰囲気の境内です。
あちこちに生花がお備えされていて、毎日のお手入れにも気を使っている様子が伺われます。
植えられている夫婦槇を見た時には、お寺の人々に対する深い思いやりを感じることが出来ました。
水掛け不動尊