定年後の生活ブログ

定年後に行政書士となり、四国のことを発信しています

琴弾公園にある琴弾八幡宮

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はじめに

香川県観音寺市にある琴弾八幡宮は琴弾公園にあります。

公園には琴弾八幡宮だけでなく、68番札所神恵院、69番札所観音寺、山崎宗鑑の一夜庵など歴史的な遺跡がたくさんあります。

道の駅「ことひき」もここにあります。詳しくはこちらをご覧下さい。↓↓

www.teinenoyaji.com

山頂にある本殿

本殿までは琴弾八幡宮入口の大鳥居から、381段の石段を上がっていきます。

財田川の河口近くにある大鳥居をくぐると、右側から階段が始まります。

元総理大臣大平正芳揮毫の「琴弾八幡宮」の石柱が建っています。

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1653年、丸亀藩主山崎虎之助治によって寄進された2つ目の鳥居をくぐって上がっていきます。

鳥居の前には備前焼の狛犬が鎮座しています。

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随神門と手前にある狛犬

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上にのぼる階段 

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3つ目の鳥居と狛犬

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4つ目の木乃鳥居と狛犬

八幡信仰の篤い源氏が、1185年、屋島の戦いに勝利し、更に平家追討の成功を祈願して奉納した鳥居です。

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3つ連続の注連柱

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本殿前の鳥居

本殿に上がる最後の鳥居です。ここでも、階段を上がった所に狛犬が鎮座していました。

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観音寺市街

階段を上がり切って、振り返ると観音寺市街が一望できます。

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拝殿

拝殿に来るまで、参道の脇にはたくさんの参道境内社がありました。

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本殿

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本殿境内にある山頂境内社

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住吉神社、若宮、武内神社

 山頂からの眺め

本殿境内から階段を少し降りると象が鼻岩があり、そこから瀬戸内海を一望できます。

かつてはこの岩も信仰の対象になっていたのかもしれません。

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「寛永通宝」の砂絵

手前が時代劇ドラマ『銭形平次』で有名な寛永通宝の砂絵、海に浮かぶのは伊吹島です。

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山麓の境内

ふもとにある大鳥居をくぐると大きな広場があります。

右の階段から本殿へと上って行きますが、広場の右側の周りにも社がいくつかあります。

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神幸殿

奥に見えるのが神幸殿で左隣に社務所があります。

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広場にある社

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庚申神社、琴弾戎、山の神神社

 琴弾女神の像

ちょうさ

毎年10月のお祭りでは、広場に多くの太鼓台が集結し賑わいます。

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歴史

はじまり

703年、法相宗の日証上人が修行をしていたところ、八幡大菩薩が乗っている船が現れて神秘的な琴の音が流れてきました。

上人と人々は船を山上に引上げ、琴と共に神殿を造営して琴弾八幡宮としてお祀りしたとされています。

同時に、後の69番札所の観音寺となる神宮寺宝光院が建立されました。

祭神は第16代天皇の応神天皇、応神天皇の母である神功皇后、神武天皇の母の玉依姫命とされています。

空海

807年、空海が阿弥陀如来を描いて安置し、神仏習合の神社となります。

源氏の信仰を集めた琴弾八幡宮

源頼義は前九年の役の前に願文を治め、頼義の子・義家は社殿を造営しました。

源義経は屋島の戦いのあと、平氏追討を祈願して鳥居と馬を奉納しています。

源頼朝は1千貫文の領地を寄進しました。

江戸時代までは四国八十八ヶ所68番札所

神社と寺の境の区別がない神仏習合の寺社で、琴弾八幡宮は68番札所になっていました。

明治初期の神仏分離によって、琴弾八幡宮と観音寺が分離されます。琴弾八幡宮にあった本尊阿弥陀如来像は観音寺西金堂に移されました。

琴弾八幡宮の別当であった神恵院が第68番札所とされ、観音寺が69番札所とされます。

おわりに

歴史ある琴弾八幡宮は琴弾山の山上にあります。

長い階段を上って参拝した後の、山上からの眺めは格別のものがあります。

名物の砂絵「寛永通宝」と瀬戸内海に浮かぶ伊吹島の景色は、いつまでも心に残る風景でした。