はじめに
68番札所の神恵院、69番札所の観音寺は同じところにあります。
観音寺市とコラボしているアニメ「結城友奈は勇者である」の聖地巡礼地でもあります。
神恵院は「じんねいん」、観音寺は「かんのんじ」と特徴のある読み方をします。
境内の案内看板を見て頂くと分かるのですが、神恵院と観音寺は同じ境内にあります。
同じ場所にあるのは、隣にある琴弾八幡宮との歴史的関係によります。
琴弾八幡宮については、こちらをご覧ください。↓↓
境内
仁王門
仁王門の看板にも神恵院と観音寺の名称が書かれています。
沓音天神
仁王門の横に沓音天神が鎮座しています。
ある夜、誰かが庵に訪ねて来たのですが、沓の音だけしかなく、後を追うとこの社付近で音が消えたとの伝説から名付けられたといいます。
近くの一夜庵に住んでいた山崎宗鑑が篤く信仰していたそうです。
69番札所観音寺
本堂
仁王門をくぐって階段を上って右側に観音寺の本堂があります。
本尊は聖観世音菩薩です。歴史を感じさせる建物で重要文化財です。
本堂には南北朝時代の1347年、常陸国(茨城県)下妻から僧侶阿闍梨が遍路にやって来たことが分かる、落書きが残されています。
大師堂
朱色の鮮やかな大師堂です。
薬師堂
階段を上がった所に薬師堂があります。ここがかつての68番神恵院の本堂でした。
五智如来
右の階段を上がると薬師堂です。
68番札所神恵院
本堂
観音寺と神恵院の大師堂の間に神恵院の本堂が見えます。
白いコンクリートの外壁なので「これが?」と驚いてしまいます。
真ん中の四角い空間から階段を上がっていくと、和風の本堂になっています。
八幡大菩薩の本地仏である阿弥陀如来が祀られています。
大師堂
預修殿
真新しい建物が68番札所、69番札所の納経所です。預修殿と称され閻魔大王が祀られています。
巍巍園
第四十五世の太政大僧正道尊による作庭で作られた回遊式の庭園です。
山口の井戸
ちょうど観音寺の裏手の琴弾山を挟んで反対側(海側)に、弘法大師ゆかりの井戸があります。
大師が観音寺の住職をしていた時に、干ばつが続いて人々は困っていたので、大師がこの井戸を掘って人々を救ったといわれています。
弘法大師と地元の人々との縁を感じることのできる遺構です。
縁起
8世紀初め、法相宗の日証が琴弾八幡宮にて八幡大明神を祀った時に、観音寺は神宮寺宝光院として建立されました。
9世紀初め、空海は琴弾八幡宮の本地仏として阿弥陀如来を安置し、院号を「神恵院」としています。また、神宮寺宝光院の第7世住職として聖観世音菩薩を刻んで本尊として伽藍を整備し、寺名を観音寺と改めました。
観音寺は桓武天皇をはじめとする勅願所となり、室町時代には足利尊氏の子どもである道尊大政大僧正が45年間の長きにわたって住職を務めたため隆盛を極めます。
札所としては琴弾八幡宮が68番、観音寺が69番とされていました。
明治の神仏分離によって、琴弾八幡宮に祀られていた阿弥陀如来が、麓にある観音寺の西金堂に移されて68番札所神恵院の本堂となりました。
神恵院の本堂は2002年に鉄筋コンクリートで新築され、観音寺西金堂から移されました。
神恵院と観音寺の歴史的な経過から、現在は同じ境内に仲良く札所として並んでいます。
おわりに
2つの札所が同じ所にあることが不思議でしたが、実際に行ってみると違和感なく参拝することが出来ました。
琴弾八幡宮との神仏習合の歴史もおもしろく、昔の人々のおおらかな信仰の姿をうかがい知ることが出来ました。
追加:梧桐庵の勇者専用席
境内にはカフェ梧桐庵があります。
観音寺市とコラボしているアニメ「結城友奈は勇者である」の聖地としての「勇者専用席」があります。
この席で甘くてかわいい、きな粉と抹茶をまぶした大福アイス、その名も「空海」をいただきました。
勇者部六箇条が記されている席もありました。