はじめに
宇和島は伊達10万石の城下町として栄えてきた町です。現存12天守の1つの天守を有する宇和島城を中心として、歴史的遺産を大切にしています。
宇和島伊達家由来の貴重な文化財を保存展示している宇和島市立伊達博物館とすぐ側にある大名庭園「天赦園」を訪れました。
博物館の正門
宇和寺島市立伊達博物館
江戸時代に宇和島藩を治めていた伊達家ゆかりのものを、公益財団法人宇和島伊達文化保存会が数多く所蔵しています。
伊達博物館では、伊達政宗の書状や、きらびやかな甲冑、婚礼調度品など、貴重な文化遺産の中から厳選された秘蔵の品々が展示されています。
残念ながら、写真撮影がNGでしたので紹介することはできませんが、素晴らしい文化財の数々でした。
伊達博物館は1974(昭和49)年に伊達屋敷跡に建設されています。建物の老朽化による耐震の問題などによって、隣接する天赦公園内に移転・新築することになっており、2026年度中の開館を目指しているそうです。
博物館の外観
展示室の入口
伊達が建造した蒸気船模型
8代藩主伊達宗城は、長州の村田蔵六(大村益次郎)を召し抱えて、提灯屋の嘉蔵(後の前原巧山)とともに蒸気船を製造しました。
これは日本人だけで作った蒸気船の第1号であるといわれています。
天赦園(てんしゃえん)
天赦園は、国の名勝に指定されている日本庭園です。
「浜御殿」の一部に、7代藩主伊達宗紀(むねただ)が移り住み「南御殿」と称していましたが、1866年に築庭が完成したことから「天赦園」と命名されました。
池泉回遊式の大名庭園です。
ちなみに宗紀は、1889(明治22)年に亡くなっていますが、100歳の長寿であったと言われています。当時としては、大変な長命であったことでしょう。
入口
天赦園の石碑
潜淵館付属茶亭
1922(大正11)年、昭和天皇が皇太子の時、宇和島を訪れた際に御座所とされていました。
景観
春雨亭
能書家であった宗紀は、ここで書の研鑽を積んでいました。
おわりに
伊達博物館では、豊臣秀吉を描いた珍しい肖像画(国指定の重要文化財)が所蔵されているようですが、現在は修復中ということで、今回は見ることができませんでした。
2026年には新しい伊達博物館ができるようなので、ぜひ、再訪してこれらの貴重な文化財を目の当たりにしてみたいと思っています。
追記:ひな人形展
3月に博物館を訪れた時でしたので、桃の節句にちなみ館所蔵の貴重な有職雛(ゆうそくびな)が展示されていました。
有職雛というのは、公家のしきたりや装束を忠実に再現したおひな様だそうです。
約100年前の、1924(大正13)年に京都で製作された歴史的にも大変貴重なおひな様です。