はじめに
城の天守のうち、江戸時代以前に建設されたものが現代まで保存されている天守のことを現存天守といいます。
日本には現存天守が12カ所の城にあって、四国には丸亀城、松山城、宇和島城、高知城の4城にあります。いずれも重要文化財に指定されています。
四国にある現存天守の一つであり、宇和島市のシンボルである宇和島城に行ってきました。
宇和島城とは
宇和島城は、築城の名手といわれた藤堂高虎によって標高約80mの丘陵に築かれた城郭です。
平山城ですが、かつては西側が海に面していたので海城でもありました。
現在は、堀も海も埋め立てられていて、当時の面影は失われています。
宇和島は、江戸時代の1615年に伊達政宗の長男である秀宗(ひでむね)が宇和郡10万石に封じられたことで宇和島城へ入城し、宇和島伊達家となります。
宇和島城は、2代目の宗利が大改修しており、現存12天守となる天守は宗利の時に建造されたものです。
以来、明治になるまで、9代にわたって、宇和島伊達家の居城になっています。
城は1860年、1960年に大修理が行われ、昔の姿を今に伝え残されてきました。
宇和島城案内図
北側登城口から天守へ
登城口
宇和島藩筆頭家老の桑折家(こおりけ)屋敷にあった長屋門を移築したものです。
二之丸への階段
石垣
二之丸から本丸への階段
本丸
天守
2代目宗利が1666年に改修した3重3層、層塔型の天守です。
1層の展示
2層の展示
3層からの眺望
お城カード
日本100名城の1つでもある宇和島城のお城カードです。
城山郷土館:旧山里倉庫
1845年、三之丸に建てられていた武器庫です。
1966(昭和41)年、伊達家より譲渡され、城山郷土館として移築されました。
宇和島出身者やゆかりの偉人を紹介する展示がされています。
おわりに
天守からは宇和島の湾がよく見えます。日本人だけで作った蒸気船の第1号が湾に浮かべられたと言われており、来るべき新しい時代にいち早く備えようとした幕末宇和島藩の進取の気概を感じることができました。
また歴史的な宇和島城を、大切に後世に伝えようとしている宇和島の人々の意思を感じることのできるお城でした。
追記:宇和島市観光情報センター「シロシタ」
宇和島城への北側登城口にある、2021(令和3)年にオープンしたばかりの観光情報センターです。
イラストがかわいい宇和島宣伝カーが目を引きました。