定年後の生活ブログ

定年後に行政書士となり、四国のことを発信しています

42番札所「仏木寺」と道の駅「みま」

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はじめに

山間の、のどかな田園風景の中、背後にある丘陵の麓に42番仏木寺(ぶつもくじ)があります。

県道31号線沿いなので、車での参拝に便利がよい立地になっていました。

地元に根付いた、こぢんまりとした田舎のお寺という感じです。

境内

境内図

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仁王門

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仁王門から境内への階段

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鐘楼

大変珍しい茅葺きの鐘撞堂(かねつきどう)です。

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本堂

本堂は300年ほど前の1728年に、吉田藩主伊達村豊(むらとよ)が建てたものといわれています。

本尊は弘法大師が刻んだとされる大日如来で、牛馬の守り本尊として信仰されています。

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大師堂

大師堂は1982年に建立された新しいものですが、弘法大師像には1315年開眼の銘があり、銘入りの大師像として日本最古のものといわれています。

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聖徳大師堂(左)と不動堂(右)

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残木堂

弘法大師が大日如来を刻んだといわれる木材の残りが保存されているといわれています。

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縁起

9世紀初め、空海が老人に勧められた牛に乗って進んでいる時、この地が霊地であることを感得し、大日如来を刻んで寺を開創したといわれています。

空海が牛に乗ってこの地に来たということから家畜守護の寺といわれています。

南予地方は昔から闘牛が盛んに行われていたので、仏木寺も牛とは深い縁があり、本堂の隣には牛馬を祀った家畜堂もあります。

鎌倉時代は宇和島領主西園寺氏の菩提寺として栄えました。

境内の全景

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おわりに

四国の田舎の小さなお寺ですが、700年も前の鎌倉末期に立派な弘法大師像が創られ、ここに安置されていたことに驚かされます。

お遍路さんのルーツともいえる大師信仰が、すでにこの地にあったのでしょうか。

長い年月にわたる、お遍路の歴史を物語っているお寺だと思いました。

追記:道の駅「みま」

宇和島方面に向かって、42番札所「仏木寺」から41番札所「龍光寺」を少し過ぎたところに道の駅「みま」があります。

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石の彫刻「森の魚」

道の駅の広場には、存在感が抜群の、藤部吉人氏の石の彫刻「森の魚」が鎮座していて、その向こうには鯉のぼりが勢いよく泳いでいました。

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「畦地梅太郎記念美術館」と「井関邦三郎記念館」

地元食材をふんだんに集めた産直市だけでなく、地元出身の芸術家や起業家を紹介する記念館を併設していました。

山男の版画家として知られる畦地梅太郎と、総合農機具メーカー「ヰセキ」創業者の井関邦三郎で、二人はどちらも三間町出身の人物です。

郷土の誇りとなる人物の業績を大切に顕彰している施設でした。

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