はじめに
40番札所観自在寺は、四国八十八ヶ所で「菩提の道場」といわれている愛媛県の最初の霊場です。
リアス式海岸による豊かな海の幸と柑橘類の生産が盛んな、自然あふれる地域にあります。
1番札所霊山寺からもっとも遠くにあることから「四国霊場の裏関所」とも呼ばれています。
境内
案内図
仁王門
仁王門から本堂への参道
本堂
ご本尊は薬師如来様です。
本堂内部
観自在菩薩像
人々の苦悩を救ってくださる仏様が、本堂と大師堂の間に建立されています。
大師堂
心経宝塔
弘法大師が平城天皇の病気平癒のために般若心経の祈祷をしたという故事にならい、信者から写経奉納されたものが納められています。
十二支守本尊
「栄(さかえ)かえる」
一、親子孫と三かえる
一、お金がかえる
一、福がかえる
一、病気がかえる
願掛けの親子カエル像です。
平城天皇遺髪塚
薬子の変によって落髪された平城上皇を偲んで、この地出身の女官が建立したものとされています。
宝聚殿
文殊菩薩が祀られているとともに、宝物が収納・展示されています。
篠山大権現
愛媛県と高知県の県境に位置する篠山(標高1065m)は、古くから山岳信仰の霊地として知られており、山頂には篠山神社(明治4年までは篠山権現)があります。
平安時代に弘法大師空海が入山して寺院を創建したことから、江戸時代には四国八十八ヶ所霊場の番外札所として、多くの巡礼者で賑わったそうです。
観自在寺の鎮守として、篠山大権現が祀られていました。
縁起
弘法大師空海が平城天皇の勅願を奉じて、薬師如来、阿弥陀如来、十一面観世音の尊像を安置したことから始まるとされています。
平城・嵯峨の両帝が親しく行幸され、一切経並びに大般若経を納めたとされています。
往時は荘厳華麗を極めていましたが、何度もの災難によって昔日の観を失ってしまいました。
江戸時代初期には京都の空性法親王が巡拝され、薬師院の号を受けています。
その後、宇和島藩伊達家の祈願所とされて庇護を受けていました。
1959(昭和34)年の火災で本堂を焼失してしまいましたが、再建を果たして現在に至っています。
本堂と大師堂
おわりに
伽藍の建物は新しく整備されたものでしたが、歴史を感じさせてくれる遺跡も残っており、昔日の隆盛を感じることもできます。
山裾に広がる小さな街並みと共に歩んでいる趣あるお寺でした。
追記:かわいいタヌキのお遍路さんがいました。