はじめに
四国遍路が始まったのは、衛門三郎が空海の後を追って四国を巡ったことがきっかけだとされています。
以来、千年以上に渡って数多くの人々が空海の徳を慕って四国霊場を巡っていますので、その先駆けとなった衛門三郎はまさに「先達」として重要な歴史的人物です。
昔ながらの小さな村のお寺という風情ですが、四国遍路の歴史にとっては忘れることのできない大切ないわれがあるお寺です。
縁起
寺伝によると、空鉢上人が開創して徳盛寺と呼ばれていましたが、空海が文殊菩薩に導かれてこの地に逗留したことから文殊院と名付けたといわれています。
その後、衛門三郎の屋敷であったこの地に移転されたと伝わっています。
衛門三郎が夫婦そろって石像になっています。
境内
本堂
地蔵菩薩さま、文殊菩薩さまがご本尊です。
大師堂
衛門三郎伝説
河野家の一族であった衛門三郎は托鉢姿の僧侶にひどい仕打ちをしました。ところがその僧侶は弘法大師だったのです。
衛門三郎は弘法大師にお詫びをするため、四国巡礼の旅に出ます。20回巡礼しても巡り合うことが出来なかったので、それまでとは違い逆の順番で巡礼を始めました。
すると12番札所の焼山寺近くの杖杉庵で病に倒れ死を目前にした時、やっと弘法大師に巡り合ってお詫びをすることが出来たのです。
衛門三郎の終焉の地について、詳しくはこちらをご覧ください。↓↓↓
弘法大師は死を目前にした衛門三郎に「衛門三郎再来」の石を握らせました。
翌年、河野家に男の子が誕生し寺で祈祷を受けると、その石が子供の手から出てきたということで、石が出てきた寺ということで石手寺と改名されたということです。
石手寺について、詳しくはこちらをご覧ください。↓↓↓
逆打ち
四国遍路の始まりや「逆打ち」も衛門三郎が由来だとされています。通常、四国遍路は1番札所から88番札所まで順番に巡っていきますが、これを88番札所から反対に巡っていきます。
衛門三郎が閏(うるう)年に逆打ちを始めたといわれていることから、閏年に「逆打ち」をすると弘法大師に会えると信じられています。
このため4年に一度の閏年に「逆打ち」をするとご利益が3倍にもなるとされています。
文殊院には、空海と衛門三郎の物語が石碑に刻まれていました。
おわりに
見た感じは何の変哲もないお寺でしたが、四国を舞台にした衛門三郎と空海が紡ぎだす壮大な物語の出発点となる所でした。
現代に繋がる四国遍路のことを考えると、改めて衛門三郎の事蹟について大きな感慨を覚えました。
追記
ちなみに文殊院は、弘法大師空海と縁の深い四国別格二十霊場の第9番にもなっています。
四国八十八ヶ所を巡拝するとともに四国別格二十ヶ寺を巡ると、あわせて百八ヶ寺となり人間の百八煩悩と同じ数になります。