はじめに
源平の古戦場がある屋島は、江戸時代までは陸から離れた島でしたが、埋め立てられて陸続きになりました。
南北に約5km、東西に約2kmの山頂は平たんなのが特徴で、北嶺の高さは282m、南嶺の高さは292mあり、周囲が急な崖になっています。
84番札所の屋島寺は南嶺にあります。
今はドライブウェイが通っているので、車でスムーズに参拝できますが、かつては厳しい遍路道を上って行かなければならない札所でした。
歴史もあり由緒もあるお寺は、ゴールデンウィークの頃には赤や白のツツジの花が咲き乱れます。
屋島寺の境内
境内
案内図
3つの門
屋島寺には3つの立派な門がそびえ立っています。
仁王門
四天門
東大門
お寺から駐車場へ通じている所にある、新しい赤色が目に鮮やかな門です。
本堂
鎌倉時代に建てられましたが、たびたび修理が繰り返されていて、1618年の建築といい伝えられていました。
1955(昭和30)年に重要文化財に指定されています。
大師堂
宝物館
屋島寺の本尊である重要文化財の十一面千手観音さまや源平合戦に関する宝物が展示されていました。
土佐光起筆の「屋島合戦屏風」「源平盛衰記絵巻」や那須与一の子孫が寄進した「源氏の白旗」などを鑑賞できます。鑑真さん作の仏像もありました。
蓑山大明神
屋島太三郎狸を祀る社です。
道に迷われた空海を、蓑笠をつけた老人に変身したタヌキが屋島寺まで案内したといわれています。
善行を積んだため本堂の隣に大切に祀られ、四国のタヌキの大将として崇められているそうです。
一願不動尊
縁起
754年、中国から渡来した鑑真が奈良に向かう途中に霊験を得て、堂を建立し開創しました。
のち鑑真和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲が「屋島寺」と称し初代住職になりました。
815年、空海が嵯峨天皇の勅願を受けてお堂を北嶺から現在地の南嶺に移し、本尊として千手観音像を祀りました。
天暦年間(947年~57年)明達が四天王像と、現在の本尊となる十一面千手観音坐像を安置した。
屋島寺は山岳仏教の霊場として隆盛します。
10世紀中期、明達によって四天王像と国指定重要文化財になっている十一面千手観音坐像が奉納されました。
江戸時代には生駒家、松平家の歴代藩主によって保護されます。
現在も国有林部分を除いて、屋島山上の敷地のほとんどは屋島寺の所有ということです。
熊野権現社
おわりに
色鮮やかに紅白のツツジが境内のあちこちに咲き乱れている時期に参拝したことで、一時ではありましたが、世辞を忘れて心を癒されると共に豊かな時間を味わうことができました。
ツツジの可憐さだけでなく、お寺の雰囲気や歴史を堪能したことで、とても良い思い出になりました。
龍の玉
本坊の前にツツジに囲まれて、龍が玉を咥えている見事な石像があります。
源平合戦八百年祭供養碑
屋島には、源平合戦ゆかりの戦跡や戦没者のお墓があちこちに残されています。
いつの時代も、地元の人々は源平合戦の記憶を大切にしているからだと思います。
1985(昭和60)年に源平合戦八百年祭が行われ、戦没者の供養として建立されたものです。
追記
駐車場からの道には、往時の賑わいを偲ぶことができる古い写真や源平合戦の看板がありました。