はじめに
自由民権運動のメッカである高知に自由民権記念館が建てられています。
高知の人たちにとっては、誇るべき郷土の歴史です。
100年以上前の運動の歴史的記録ですが、現代の自由や人権について考えるとても良い場所だと思います。
板垣退助生誕の地
自由民権運動といえば土佐で、板垣退助が思い浮かびます。
明治政府の中心人物であったにもかかわらず、明治六年の政変で大久保利通らと対立して下野した人物です。
下野した板垣は「民撰議院設立建白書」を提出して民選の議会開会を要望しました。
建白書は却下されてしまいますが、これが自由民権運動の端緒となります。
この後、地元の土佐に帰り立志社を設立して、言論活動を通じて明治政府と対峙していきます。
高知市には板垣退助の生誕の地を記念して高野寺の一角に石碑が建てられています。
現在は高野寺という真言宗のお寺ですが、もともとは板垣家の邸宅でした。
板垣退助が転居し、一時は立志社の学校でしたが、そののち高野山に買い取られて高野寺となったようです。
自由民権記念館
高知市が1989(平成元)年の市政百周年記念事業の一環として建設され、1990(平成2)年4月にオープンしています。
自由民権運動をはじめとした土佐の近代資料を収集し、次世代へ引き継ぐために建設されました。
内部
2階フロア
1階は市民のためのコミュニティーゾーンとなっていて、自由民権運動については2階部分が展示室となっています。
民権ばあさん~女性参政権運動の先駆者~
夫に先立たれた楠瀬喜多(くすのせきた)が、1878(明治11)年の区会議員選挙で投票しようとしたところ「女性に投票権はない」と拒絶されました。
納得のいかない喜多は納税を止めてしまいます。
県の催促に対して「納税しているのに女だからといって選挙権がないのはおかしい」と主張しました。
このことが全国紙で取り上げられ、大変な評判になりました。
2年後の1880(明治13)年、町会や村会で日本最初の女性参政権が実現しました。
しかし、1884(明治17)年、政府はこれを廃止してしまい、わずか4年の出来事でした。
喜多は民権家たちとの交流も深く「民権ばあさん」と呼ばれていたそうです。
常設展示室~板垣退助襲撃の短刀~
自由民権運動の歩みを伝える関係資料が、たくさん展示されています。
板垣退助は岐阜県で刺客に襲われて負傷しました。
その時に発した言葉とされている「板垣死すとも自由は死せず」という名文句は有名です。
凶行時に使用された短刀も展示されていました。
おわりに
「自由は土佐の山間より」といわれていますが、明治時代の土佐では板垣退助をはじめとした自由民権運動が、市井の人々を巻き込んで展開したということです。
自由と民権を実現する願いが、土佐の人々の願いであったからこそ多くの賛同を得て運動が盛り上がったのでしょう。
高知の人々は、自由と民権を求めて闘った先人を誇りとしていて、自由民権運動の歴史を後世に伝えるための記念館を建てたのだと思います。
そうした高知の先人の歩みを学ぶことができました。