はじめに
日本で唯一、人名を冠した空港です。
明治維新の志士である坂本龍馬にちなんで、2003(平成15)年から、高知龍馬空港の愛称で呼ばれるようになりました。
南国土佐の風情が、そこかしこにあふれている飛行場です。
高知龍馬空港
空港にある吉田茂像
吉田茂は高知県宿毛出身で自由民権運動の活動家だった竹内綱の五男として、東京で生まれました。
実父の死後、3歳の時に旧福井藩士で横浜の貿易商であった吉田健三の養子となりました。
吉田茂は東京に生れていて、父の郷里とは疎遠でしたが、戦後の昭和22年4月に行われた衆議院総選挙で高知県全県区から出馬して初当選しました。
以来、計7回、同選挙区から連続で当選しています。
高知を代表する政治家です。
空港出入口
「こりゃたまるか わしの名前がついちゅう 高知龍馬空港」
空港内
1Fロビーの様子
お出迎え看板、お花と一緒に
高知の名物PR
坂本龍馬
アンパンマン
よさこい踊り
高知城
3F展望デッキ
ここにもアンパンマンキャラクター
飛行機
空港と特攻隊の歴史
1944(昭和19)年 、空港は旧日本海軍高知海軍航空隊の日章第一海軍航空基地として建設されました。
この基地の航空隊は、飛行予科練習生(予科練)卒業生の内、偵察搭乗員の実技教育をする飛行術偵察専修練習生(飛練)の本科の練習航空隊で、その練習機を「白菊」といいました。
1945(昭和20)年5月から「白菊」は、「神風特別攻撃隊菊水部隊白菊隊」として沖縄に飛び立っています。
練習機なので飛行速度が遅く、軽量化のために編隊長機にしか無線が搭載されず、特攻の戦果をほとんど把握できなかったそうです。
四国からは徳島航空隊で56名、高知航空隊で52名の合計108名が戦死されました。
ちなみに「水戸黄門」の徳川光圀役を務めた俳優の西村晃さんは、徳島白菊隊の特攻隊員でしたが、出撃機不良で基地に引き返し終戦を迎えています。
掩体(えんたい)
高知龍馬空港から太平洋に向かって少し行くと、細い円弧型の建造物が目に入ります。
旧高知海軍航空隊の飛行機を敵の攻撃から守るための格納庫です。
このような鉄筋コンクリート製のものが7基、残っています。
おわりに
幕末に新しい日本を夢見て活動した志士の名前が付いている高知空港ですが、一方では、悲劇的な特攻隊の歴史も有しています。
掩体を大切に保存していることは、この地で起きた悲劇や戦争そのものを繰り返さないために残しておかなければならないという高知の人々の思いを表したものではないでしょうか。
今の平和な日本にあって、このような歴史を忘れずに学んでいかなければと思いました。
追記:空港にはきれいなお花の写真スポットがありました。