はじめに
飛行場はチョット特別な感じがする空間です。どの空港も地方の空気感というか、特色があって、とても心地よい思いがする場所です。
松山空港もそういった雰囲気を持っています。残念ながら、コロナの影響で活気があるとはいえませんでしたが、十分に空港を楽しむことができました。
松山空港
瀬戸内海の伊予灘に面していて海に少し突き出ています。もとは海軍航空隊の飛行場でしたが、戦後、拡張されてきました。
コロナ以前は、国内外の乗降客数が合わせて2018(平成30)年度には316万人にも上るにぎやかな空港でしたが、2020(令和2)年度には76万9千人にまで減少してしまっています。
空港内
1Fロビー
コロナの影響で閑散としていました。
蛇口からミカンジュース
お約束のミカンジュースが出る蛇口です。
ミカンのステンドグラス
愛媛といえばミカンです。壁いっぱいにミカンの絵をあしらったステンドグラスがはめ込まれていました。
3F送迎デッキ
東京からのジェット機到着
今の時節、飛行機の便が少なくなっています。
せっかく飛行場に来たので、飛行機を見たいと思い、1時間近く待って、やっと東京からの便が着陸しました。
すぐ後で、大坂からのプロペラ機も到着しました。
中国旅行でプロペラ機に搭乗した思い出
34年前の中国旅行
1987(昭和62)年の8月に中華人民共和国を旅行しました。
1989年には民主化を求めた学生を軍事力で弾圧した天安門事件が起こったのですが、その前のことです。
この頃の中国は鄧小平の改革開放路線により、外国人旅行者を積極的に受け入れるようになっていました。
しかし、今の中国のように急激な発展する前でしたので、宿泊施設などはまだ十分と言える状況ではなかったと思います。
ただ、どこへ行っても規模も歴史もスケールが大きくて圧倒的でした。
日程表と老人パワー
旅行の詳細については、ほとんど忘れてしまったのですが、旅行の日程表を見返すと、大阪~上海~蘭州~敦煌~トルファン~ウルムチ~蘭州~西安~北京~大阪となっていました。
何とウルムチまで行っていますので、えらく遠いところまで行ったもんだと思います。ウルムチのホテルにいた時、別の日本人の旅行団体もいて、割と高齢の方々が多かったと記憶しているのですが、ホータンまで行っていたとおっしゃっていました。
ホータンはタクラマカン砂漠の南側を通るシルクロード上にあるオアシス都市で、中国とインドとパキスタンが領土をめぐって揉めているカシミール地方に近いところです。
お年寄りとはいえ、そんなところまで元気に行っているのかと思い老人パワーに圧倒されたものでした。
プロペラ機の思い出
帰りの旅行中、蘭州から西安へはプロペラ機で向かいました。
初めてプロペラ機に乗ったので、少々、不安に思ったものです。案の定、かなり揺れがひどくて、どうなるものかと心配しました。
夜のフライトでしたので外がどうなっているのかも分からず、案内のアナウンスもありましたが何を言っているのか言葉も分からず、ただ座席に座っているのみでした。
やがて無事に飛行場に着陸したので、やれやれと思っていると、なんと元の出発した飛行場に帰ってきているではありませんか。
何がどうなっているのかも分からず、飛行機を降りたわけですが、後で聞くと、悪天候のために引き返したということでした。
どうりで揺れがひどかったものだと、思ったものです。
簡易宿泊所で休んでから、次の日に再出発して、無事に西安に着きました。
プロペラ機に乗ったのは、後にも先にも、この時だけなのですが目の前のプロペラ機を見ながら、昔の中国旅行を思い出しました。
大阪からのプロペラ機
砥部焼の「えひめ三美神」
空港ビルの外に、愛媛県の代表的な焼き物である砥部焼で作られた3本のモニュメントがあります。
空港ビルが新築された際に設置されたもので、題名は「えひめ三美神」と銘打たれています。
「えひめ三美神」は、古事記に記されている伊予ノ国が「愛比売」(見目麗しい女神の意)に由来していることに因んでいるということでした。
おわりに
飛行機が到着するまで、1時間以上待たないといけない程、飛行機の便が少なくなっていました。飛行機のない飛行場は寂しいですね。
しかし、到着したプロペラ機を見て、昔の旅行を思い出すことができました。
飛行機を見ると何がしかの感慨を覚えるものですが、それも飛行機の魅力です。
早く元通りにたくさんの飛行機が発着する松山空港に戻って欲しいものです。
かんきつ王国のミカンジュースタワー