はじめに
まるで城郭のような堅牢な石垣の上にあるお寺でした。
寺伝にあるように、治水と関連する築堤の技術にも通じるのでしょうか。
丸石を積み重ねたり、四角くて新しい石を重ねたりして築かれている、立派な石垣が印象深い札所です。
境内
参道入り口の地蔵堂
広い駐車場から民家の間にある細い道を通ってお寺に向かいます。駐車場のすぐそばにお地蔵さまを祀っているお堂がありました。
まるで参拝者をお出迎えしてくれているようです。
本堂
江戸時代末期の1854年に建立されています。
本尊は弘法大師が作ったとされる地蔵菩薩さまです。
大師堂
1985(昭和60)年に建立された比較的新しい建物です。
不忘松
お寺を建立した時に空海が手植えしたといわれています。
現在の松は三代目だそうで、足腰に御利益があるとされています。
理源大師石像、不動明王石像、役の行者石像、弘法大師石像
鐘楼
1881(明治14)年に今治城内の太鼓楼の古材で再建されました。
縁起
815年に空海がこの地を訪れた時、地元では悪霊の祟りによって蒼社川が氾濫するといわれ、「人取川」と呼んでいました。
空海は村人たちと共に堤防を築いて祈願をすると、延命地蔵菩薩が現れて治水に成功したとされます。
ここに空海は不忘松を植えて、地蔵菩薩像を刻み、金輪山の山頂に堂を建立したのが始まりだとされています。
「泰山寺」の名は延命地蔵経の中に出てくる「女人泰産」からとったもの、あるいは中国の道教の聖地である五岳の一つである「泰山」からとったものともいわれているようです。
泰山というのは、秦の始皇帝をはじめとして歴代の中国皇帝が重要な儀式を行った山です。
天命を受けた天子が天と地に即位を知らせ、天下泰平であることを感謝するという儀式です。
どちらであるのかは分かりませんが、いずれにしても由緒のある名称ということでしょう。
824年に淳和天皇の勅願所となり多くの伽藍を有する大寺院になりましたが、度重なる兵火によって衰退し、現在の地に移ったようです。
三島神社
すぐ隣の小高い山の中腹に三島神社があったのでお参りしてみました。
由緒はよく分かりませんが、地元の人々によって大切にされている神社のようです。
階段を上って行くと今治市内が遠望できる眺めの良い場所でした。
おわりに
金輪山を背景として城郭のように泰然と存在しているお寺です。
お寺の創建は、川の氾濫に悩まされた村人たちの困窮を弘法大師が救ったことによるということでした。
満濃池の修築をした空海と治水の関係を改めて思い起こしました。