はじめに
今治市の郊外、のどかな田園地帯にある小高い山の中腹にひっそりと57番札所の栄福寺があります。
木や竹やぶに囲まれていて、近くに寄らないとお寺がどこにあるのか、すぐには分かりません。
田舎のどこにでもあるお寺の一つといった趣です。
境内
入り口
本堂
箱車
本堂の縁に「箱車」(はこぐるま)が置かれています。
1933(昭和8)年、足が不自由な15歳のお遍路さんが乗っていた箱車を、連れていた犬が引っ張ってしまい転倒してしまいました。
ところが不自由であった足が治ったのです。
その御利益に感謝して、そのまま箱車を奉納されたということです。
このため足腰守りのお寺としても信仰を集めています。
箱車は、今でいうところの車イスでしょうか。
それにしても、今ほど道が整備されてない時代に、難所の多い八十八か所巡りをすることは、途方もないことです。
まして足が不自由で、箱車に乗っての参拝には、どれほどの困難があったかしれません。
それでもなお、巡礼している人々がいることは、八十八か所巡りに計り知れない魅力があることを示していると思いました。
大師堂
山頂にあった大師堂を、この地に移築してきたと伝えられています。
龍が玉を加えている彫刻が軒先に飾られています。
この球はドラゴンボールかな?
お願い地藏
見るたびにお顔が違うといわれているお地蔵さまです。
薬師堂と金毘羅堂
薬師堂にまつわる伝説があります。
薬師堂の前にある桜の下で村人達が花見をしながら「フグ鍋」を囲んでいました。ところがフグの毒にあたってしまったのです。村人は鍋の中身を桜の木に捨てたところ、桜の木は一晩で枯れてしまいました。
しかし、フグの毒で命を落とす者はいませんでした。
村人は栄福寺のお薬師様が、助けてくれたに違いないと感じ入り、信仰を深めたということです。
縁起
寺伝によると、8世紀の初めに空海が嵯峨天皇の勅願を受けて、瀬戸内海の平穏を府頭山で祈願したところ、阿弥陀如来が現れて風波がおさまりました。
ここに阿弥陀如来をご本尊として堂を建立したのが始まりだとされています。
9世紀中旬となり、大安寺の僧である行教(ぎょうきょう)上人が、大分の宇佐八幡の分社を京都の男山(石清水八幡宮)に建立しようとしていましたが、暴風雨でこの地に漂着してしまいます。
府頭山が山城の男山と似ていたため、八幡神を勧請して勝岡八幡宮を創建したと伝えられます。
のちに荒廃してしまいましたが、11世紀中ごろ伊予守源頼義は河野氏と共に石清水八幡宮として再興しました。
いつの頃からは分かりませんが、神仏習合の神社として別当永福寺とともに五十七番札所となっています。
明治政府の神仏分離令により、お寺は山の中腹に移され、札所を引き継いでいます。
おわりに
山の中腹に鎮座するこぢんまりとした札所です。
派手さや豪快さといった感じはなく、日々の人々の暮らしに、そっと寄り添っているという雰囲気が醸し出されているお寺でした。