はじめに
東かがわ市は昔より手袋産業が盛んな地で、国内産手袋の90%が生産されているといわれています。
技術的に優れた品質の手袋を生産しているので、著名な海外ブランドものや有名スポーツ選手が使うオーダーメイドグローブなどの手袋が製作されています。
まさに重要な地場産業として地域経済の中心となっています。
手袋資料館
日本手袋工業組合のマスコット
手袋資料館の入り口に飾られていたマスコットのゴリラです。
展示室
スポーツ選手の手袋展示がたくさん展示されています。
左がサッカーの川口能活さんで、右がフェンシングの太田雄貴さん
左からマラソンの福士加代子さん、ゴルフの中嶋常幸さん、横峯さくらさん
棚次辰吉
故郷の東かがわ市のために手袋生産を始めた功績者です。
ドイツ製の飾縫手袋にヒントを得て軽便飾縫ミシンを発明しました。
現在の手袋産業
手袋製造関係の会社が50社ほどあり、手袋関係の販売額は290億円にものぼっています。
現在では、東かがわ市で商品開発、海外工場管理、営業活動が行われ、生産は海外で行うという国際的分業となっています。
手袋産業の始まり
幕末に東かがわ市で生まれた坊主の両児舜礼(ふたごしゅんれい)は、1888(明治21)年、知り合った明石タケノと大阪に駆け落ちしたために、生計を立てる手段として手袋製造を開始しました。
この年を、東かがわ市では手袋づくりの始まりの年としています。
1892(明治25)両児が39歳という若さで亡くなってしまったため、いとこの棚次辰吉(たなつぐたつきち)が家業を継ぎました。
明石タケノは両児・棚次と共に手袋製造技術の指導に尽力し、手袋製造の発展に寄与しました。
大阪で手袋生産に成功した棚次は1899(明治32)年に東かがわ市に帰郷し、衰退している製塩業の人々を救済するために手袋製造所である「積善商会」を設立しました。
1988(昭和63)年には手袋産業100年を記念する「ハンドピア 手袋百年祭」が開催されています。
手袋づくりが始まって以来、現在までに様々な盛衰を繰り返しながら日本における手袋の産地としての地位を確立して来ています。
おわりに
130年を超すという長い歴史が東かがわ市の手袋産業にはあります。
現在もそのデザインや技術が進化し続けており、将来もこの四国の地から全世界に優れた手袋を供給し続けていって欲しいと思います。