定年後の生活ブログ

定年後に行政書士となり、四国のことを発信しています

「巣ごもり」と「外のことがわからない」

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アジサイ

 

 

「わたしの部屋」

 

私の家

 今いるこの家は買ってから30年ほどで、その前は田んぼでした。古くなってきているのでいつまであるかは分かりません。

長い歴史の中でいえば一瞬のことであり、今いるここもやがて移り変わっていくのだから「わたしの部屋」として占拠しているのは今だけのことに過ぎないのでしょう。

ただ長い歴史にとっては一瞬のことかもしれませんが、個々の人(私)にとってはそれがすべてであり何より重要なことです。今いる場所を「わたしの部屋」として充実させることは、何にもまして大切なことであり優先順位の高いことだとは思います。

巣ごもり

 最近は「巣ごもり」と言ったキーワードをあちこちで聞くようになりました。去年の今頃には、まったく流行っていなかった言葉です。

誰が考えたのか、今日の世情を言い得て妙な言葉で、やたら感心してしまいます。巣ごもりするには「わたしの部屋」がいるし、そこが快適でなければなりません。

でもやがて巣はその役割を終えて、鳥ならそこから飛び立っていくものです。巣もわたしの部屋も、いつまでもというものではありません。

人によって価値観は違いますが、わたしは「わたしの部屋」はそんなものだと思っています。

来年、「巣ごもり」の巣がその役割を終えて、人々がそこから解放されることを願うばかりです。

「外のことがわからない」

 この「外」っていうのはどこのことなんでしょう。

「外」の反対は「内」ですよね。そうすると「外」と「内」の境目にはきっと境界があることになります。

瀬戸大橋

 私は生まれも育ちも仕事も四国なので、私にとって「内」は四国です。

1988(昭和63)年に瀬戸大橋が出来たので、本州と陸続きになり電車や車でスムーズに移動できるようになって便利になりました。早くも30年以上たちます。

それまでは高松と宇野を結ぶ連絡船で1時間以上かけて、本州に渡っていました。

この他にも松山、徳島、高知からフェリーが就航しており、いずれにしても船でなければ本州へは行けない時代でした。海を隔てて離れていましたので、まさしく四国は「内」で本州は「外」、海が境界でした。

1972(昭和47)年に山陽新幹線が開通し、岡山から大阪や東京へ行けるようになりました。

新幹線に乗車するには、高松まで汽車で行き、やっぱり連絡船に乗って本州に渡り、岡山まで行かなければならなかったのです。

四国の汽車

 四国の鉄道が電化されたのは、瀬戸大橋が開通したころなので、それまでは電車ではなく汽車です。

汽車はディーゼルエンジンなので音も大きく窓を開けていると油の排気ガスのにおいが漂ってきたものです。

私は高校生の頃までは電車に乗ったことがなく、大学生の時に旅行に行って初めて電車に乗り、あのモーターが動くウィーンという音で静かに、それもスムーズに発車する電車にいたく感動したものでした。

かつて東京からどれぐらいの時間で行くことが出来るかを基にした地図を見たことがありますが、四国はどの地方よりも遠くに描かれていたと思います。

瀬戸大橋が開通した現在でもそんなに変わりはないのではないでしょうか。

東京一極集中

 こうした遥かに遠い四国の地から東京を見ていると、「3密」は避けようと盛んにテレビでは言っているし、そのようなニュースやワイドショーばかりですが、そもそも東京自体があまりに人口が集中しすぎているので「3密」なんではないかと思ってしまいます。

東京一極集中ですよね。しかし東京のことは、やはり田舎にも多大な影響を及ぼします。

東京は四国からすると「外」だから「外のことはわからない」では済まされないことです。この問題で「外」と「内」に境界はありません。

コロナだけでなく、現代は「外」とか「内」とか言って境界を設ける時代ではないでしょう。いろんなことに境界を設けて「外」のことには無関心で済ますことは出来ない時代だと思います。