詩とメルヘン絵本館
高知県香美市立やなせたかし記念館には「あんぱんまんミュージアム&詩とメルヘン絵本館」があります。
詩とメルヘン絵本館を訪問したところ、企画展「やなせたかしの恋のうた」と題して、やなせたかしさんが描いた数多くの詩やイラストから「恋」をテーマにした作品展が催されていました。
男女の恋の心情をやなせさんの独特のタッチで描いている多くの作品が展示されています。
結婚秘話
やなせさんの結婚秘話も紹介されていました。
やなせさんは1946(昭和21)年、高知新聞に勤務していたころ、妻となる小松暢(のぶ)さんと巡り合います。
おでん中毒事件と恋心
社会部であったやなせさんをはじめとして4名で「月刊高知」を創刊することとなります。
スタッフの4名の中に小松さんがいました。
ある時、編集部スタッフ4名で東京に取材に行くことになりました。
その時、闇市でおでんを買ってきてみんなで食べます。竹輪、かまぼこ、はんぺん、大根、ツミレ、うで卵、食糧事情が悪かった時期なので、感動しながらおいしくいただいたようです。
ところが、翌日から激しい下痢がはじまり、食中毒にかかってしまいました。
原因は竹輪とツミレでしたが、小松さんはこれを男性に食べてもらいたいということで食べなかったため食中毒にはなっていませんでした。
小松さんは、やなせさんを含む3名の男性編集員をかいがいしく看病しました。
いち早く回復したやなせさんは、小松さんと2人で荷物の整理や後片付けをしています。
やなせさんは、もうこの時に小松さんを好きになっていました。
恋敵
何故か小松さんの所に夏はスイカ、秋はミカンをお土産に持ってくる女性がいました。その頃はスイカもミカンも高級な果物なのです。
なんと女性の兄に小松さんは求婚されていたのでした。
その男性は仕立ての良い背広を着ていて、見るからに育ちの良さそうな男性でした。
小松さんがやなせさんに「どうしよう?」と聞くと、やなせさんは「いい人らしいからあの人と結婚すればいい」と心にもないことを言ったということです。
告白
やなせさんは恋に対して不器用で気の利いた一言も言えなかったそうです。
ある時、二人は遠雷が鳴っている中、取材帰りのひどく暗い所にいました。
小松さんがやなせさんに「もっと雷が鳴ればいいのに」と言った後、低くて聞き取れないぐらいの小さな声で「やなせさんの赤ちゃんが欲しい」と言ったのです。
やなせさんはたちまち心が燃え上がり、彼女を抱きしめて唇を重ねました。
上京
小松さんが上京した半年後に、やなせさんは小松さんの下宿先に転がり込みました。
下宿と言っても子供のベッドルームで、全財産はやなせさんの軍隊用の飯盒と小松さんのストロベリージャムの缶詰1個だけでした。
貧しかったけれども楽しい日々であったと回想されています。
死別
1993(平成5)年に妻暢さんは75歳で死去しています。
やなせさんは茫然自失となり食欲も無くなってしまいました。妻と死別して怒る人がいなくなりほんとうに自由になったけど、気力もなく、何もしたくないと述べています。
おわりに
アンパンマンの生みの親であるやなせさんの、奥様との出会いと恋愛模様について知ることが出来ました。
何とも素敵な恋のお話は、まさしくロマンチックであり、そうした思い出をしっかりと言葉で赤裸々に残していることに、奥様への尽きない思いを感じることが出来ました。
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