定年後の生活ブログ

定年後の徒然なる事を四国から発信

86番札所「志度寺」の五重塔と平賀源内のお墓

 

はじめに

志度寺のすぐ前に常楽寺があり、ここに平賀源内のお墓があります。

平賀源内は江戸時代に「土用の丑の日」というキャッチコピーを考えたことで有名です。

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常楽寺と平賀源内のお墓

 

志度寺は四国八十八ヶ所86番札所で、四国に5基しかない五重塔の1つがあるお寺です。

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すぐ北側に志度湾が望め、瀬戸内海に近い札所なので、かすかに潮の香りが漂ってきます。

 

縁起

626年、推古天皇の時代に海人族の凡薗子(おおしそのこ)という尼僧が、漂着してきた霊木から十一面観音像を彫って祀ったことに始まるとされています。

693年には藤原房前(不比等の子)と行基が堂宇を建立し、寺名を「志度寺」と改めています。やがて弘法大師が伽藍の修理を行いました。

一時、戦乱によって寺は荒廃しましたが江戸時代には高松藩主松平氏によって庇護されています。

 

海女の玉取り伝説

唐に嫁いだ藤原鎌足の娘白光が兄の不比等に宝珠を送ったのですが、志度沖で龍神に奪われてしまいました。

都から志度に様子を見に来た不比等は、海女と結ばれ房前が誕生しました。事情を知った海女は龍神と戦い、宝珠を取り返したのですが傷つき亡くなってしまいました。

母の死の理由を知った房前は、行基と共に志度を訪れて母の冥福を祈って石塔を建立したということです。

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海女の墓

 

境内

奪衣婆堂

三途川で亡者の衣服を剥ぎ取る鬼婆のことを奪衣婆(だつえば)と言います。

閻魔大王の妻ともされています。地獄のファーストレディということです。生前の罪の軽重を判別する怖い婆です。

 

 閻魔堂

頭の上に10の面をもつ鮮やかな色彩の閻魔様が安置されています。怖いイメージの閻魔様ですが、お参りすると新しい自分に生まれ変われるとされています。

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奪衣婆堂と閻魔堂

 

五重塔

地元出身の実業家竹野二郎氏により寄進され、1975(昭和50)年に完成している、高さ33mの塔です。比較的新しい塔ですが、造るとなるとかなりな金額なのではないでしょうか。竹野さんの故郷への強い思いを感じることが出来ました。

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本堂と大師堂

本堂には重要文化財の本尊・十一面観世菩薩立像が安置されています。

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本堂と大師堂

 

仁王門

江戸時代の1670年ごろ、水戸黄門の兄である高松藩主松平頼重によって寄進された珍しい三棟造りの門です。

金剛力士像は鎌倉時代の運慶の作と伝えられています。

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曲水式庭園

室町時代の細川氏によって作庭された回遊式池水庭園です。

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庭園の一角には、歌舞伎や浄瑠璃にもなった「お辻の井戸」があります。仇討ち話に出てくる田宮坊太郎の乳母お辻が仇討ち成就を祈願して水垢離をしたとされる井戸です。

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おわりに

古い歴史のある志度寺にはさまざまな伝説や遺物が残されています。そのような歴史に触れながらお参りすると、より一層、深くお寺を味わうことが出来るのではないでしょうか。

そのような歴史があるからこそ、竹野氏のような厚い信仰で志度寺の発展をを支える人物が登場しているのだと思います。