定年後の生活ブログ

定年後の徒然なる事を四国から発信

平賀源内記念館

 

「土用の丑の日にウナギ」

ウナギ屋は暑い夏に、こってりとしたタレのウナギのかば焼きが売れずに困っていたそうです。

相談を受けた平賀源内のアドバイスで、「本日は土用の丑の日」と店の看板に張り出したところ商売が繁盛したといわれています。

源内さんのエピソードとして有名なお話です。

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平賀源内

 

平賀源内記念館

平賀源内記念館は 2009(平成21)年に開館しました。

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平賀源内記念館本館

 

記念館本館と、少し離れた所にある旧邸・銅像・薬草園との2か所からなります。

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旧邸

 

平賀源内とは

 

平賀源内が何をしたのかを一言では言い表すことが出来ません。

彼は、博物学者であり、文士であり、エンジニアであり、アーティストでもあるというように、マルチな才能を発揮して多方面に事績を残し、日本全国で活動しています。

平賀源内は、今の香川県さぬき市志度で高松藩の白石茂左衛門の3男として生まれました。

21歳で家督を継ぎ、24歳と40歳の時に2度、長崎に遊学しました。26歳で家督を妹に譲り、江戸へ出ていきます。

生涯にわたって妻帯しておらず、歌舞伎役者の二代目瀬川菊之丞との仲は有名ということです。

51歳の時にふとしたことから人を殺傷し、小伝馬町で獄死しました。

墓所は浅草橋場に設けられ、友人の杉田玄白が碑を建立しています。

香川県の志度にも義弟が建立したお墓があります。詳しくはこちらをご覧ください。↓↓

 

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本草家

江戸で源内は本草家の田村元雄に入門します。

本草学とは薬学とか博物学のことで、源内により何度か薬品会(博覧会)が催されています。

日本で初めての全国規模での博覧会を開催しました。

薬草の知識だけでなく、秩父地方で石綿を発見し、火浣布と名付けて幕府に献上したりもしています。

親交の深かった杉田玄白は、本草家としての源内こそが本来の姿だとしています。

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薬草園

 

文士

36歳の時、風来山人というペンネームで戯作を書いています。

浄瑠璃「神霊矢口渡」は江戸を舞台に江戸弁を取り入れて大うけとなりました。他にもたくさんの戯作を残しています。

 

エンジニア

少年期からいろいろな発明や工夫をして人々を驚かせました。

量程器(今の万歩計)磁針器(方角を測る道具)タルモメイトル(寒暖計)などです、中でも日本初の発電器エレキテルが有名です。

長崎遊学から壊れたエレキテルを持ち帰り、復元しています。単なる復元ではなく、かなりな工夫の跡が窺えるものです。

 

アーティスト

本草学では正確に植物のイラストを描く必要があり、こうしたことから写実的な西洋画に強く惹かれたようで、自らも「西洋婦人図」という西洋画を残しています。

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旧邸にある絵伝の額

 

おわりに

平賀源内は四国の香川に生まれていますが、その活動範囲は日本全国に及んでいます。当時、これだけ全国を又にかけて広範囲に活動している人物も珍しいのではないでしょうか。

最後は不幸な終わり方をしていますが、現在まで多くの人々に影響を与えていることを考えると、偉大な人物だと言えると思います。