はじめに
紅葉が赤く色づいている時期に訪れました。山懐に抱かれているような場所です。
ちょうど真っ赤な紅葉が、お寺の内のあちこちを飾っていました。
大イチョウの葉は残念ながら散ってしまっていましたが、まだ、黄色い葉が残っているイチョウの木も愛でることが出来ました。
紅葉狩りにピッタリのお天気でもあり、すがすがしい一日を過ごすことが出来ました。
三十丁石
あと3,3km(30丁)になった竹屋敷口に、昔、尼僧によって設置された三十丁石が置かれています。
すぐ隣には「へんろみち休憩所」が建てられていました。
境内
二天門
階段を少し上がった所に趣のある木造の門があります。
本堂
本堂は礼堂・中殿・奥殿(二重多宝塔)からなり、ご本尊の薬師如来様は奥殿に安置されています。多くの薬師如来様は薬壺を持っているのですが、大窪寺の薬師如来様はほら貝を持っているのが特徴で、ほら貝ですべての厄難諸病を吹き払うと言われていますが、秘仏のため普段は見ることができません。
阿弥陀堂
仁王門
コンクリート製の立派な門に、色鮮やかな仁王様が屹立されています。


大師堂
お砂踏み道場
大師堂の地下には、何らかの事情でを巡礼できない人のために設けられた、八十八ヶ所巡礼と同じ功徳を積むことが出来るとされるところがあります。
宝杖堂
「同行二人」を共にした金剛杖は寶杖堂に奉納され、春と夏にお焚き上げが行われて供養されます。
原爆の火
原爆が投下され焦土となった広島から持ち帰った火が、福岡県八女市星野村で灯され続けています。
1988年に平和の火として、大窪寺に移された火が大切に守り灯されています。
厄除け不動尊
真魚像
774年、讃岐国多度郡屏風浦で生まれた空海は、幼名を佐伯真魚と言います。子供の頃の愛らしいお姿でしょうか。
縁起
717年に行基がこの地を訪れ、霊感を得て草庵を建てたとされています。
弘法大師もこの地に堂を建立し、本尊の薬師如来坐像を彫って修行しました。
そして唐の恵果より授かった三国(印度・唐・日本)伝来の錫杖を納め、ここを結願の地と定めて大窪寺と名付けました。
空海の高弟真済は女性の入山を認めたので、女人高野とも言われて栄えています。
寺運の盛んな頃には100を越す堂塔がありましたが、長曾我部軍による兵火でほとんど焼失してしまいました。
江戸時代には高松藩主松平氏により再建されましたが、1900(明治33)年の火災で焼失してしまっています。
現在の伽藍は その後の再建によるものです。
一夜庵
大窪寺から4キロほど東に行った所に、一夜庵があります。
空海がこの地を訪れた時、山が火を吹き大鳴動し人々が恐れおののいていたといいます。
そのため一夜の庵を結んで護摩を焚き、鎮められたと伝えられているところです。
弘法大師、阿弥陀如来が祀られています。
おわりに
紅葉の美しい大窪寺にはたくさんの人々が参拝に来ていました。
もちろん八十八か所参りの結願を願うお遍路さんたちもいます。
山深い大窪寺で結願成就となったお遍路さんは、さぞ安堵したことでしょう。
と同時に終わったことに対する、一抹の寂しさを感じる場所でもあるように感じました。