はじめに
愛媛県西条市の中心には、かつての西条藩の藩庁である西条藩陣屋があります。
江戸時代に伊勢から西条に転封となった外様大名の一柳氏が、回りを堀で囲った西条藩陣屋を構築しました。
のちに一柳氏は改易されて紀州藩の支藩として松平氏が支配するようになります。
現在は愛媛県立西条高等学校になっており、昔の大手門はそのまま高校の校門になっています。
西条高校校門
この陣屋の一角には西条市の文化施設である「愛媛民藝館」「西条市立西条郷土博物館」「五百亀記念館」があります。
「愛媛民藝館」「西条市立西条郷土博物館」入口
愛媛民藝館
「民藝」とは「民衆的工芸」のことで、「一般の民衆が日々の生活に必要とする品」という意味です。
1934(昭和9)年に「民藝運動の父」と呼ばれる柳宗悦を初代会長として日本民藝協会が設立されています。
愛媛県でも1967(昭和42)年「東予民藝館」として創立され、1977(昭和52)年に現在の名称になりました。
四国唯一の民藝運動の拠点です。
江戸時代から現代までの、人々が暮らしの中で大切に使ってきた日用品である民芸品が展示されています。
展示室
西条市立西条郷土博物館
愛媛民藝館の隣にある西条市立西条郷土博物館は、田中大祐(だいすけ)氏の情熱によって開館しています。
1872(明治5)年、香川県観音寺で生まれた田中氏は子供の頃から博物研究に興味を持ち、80年近く各地で標本や文化財の収集に情熱を傾けました。
収集物を元にして移動博物館を催したり、学校で講演をしたり、民間の博物学者として活動しています。
1951(昭和26)年、田中氏が収集した品々を西条市に寄贈され、これを受けて1953(昭和28)年に郷土博物館が開館されました。
以来、篤志家からの寄贈も加えて、多くの貴重な資料が収蔵・展示されています。
資料室
アンチモン輝安鉱
特に田中氏が市内で収集した輝安鉱は世界的にも貴重な標本です。
日本最古の銅銭である富本銭にも添加されているそうです。
五百亀記念館
伊藤五百亀(いおき)の作品や人となりを紹介・展示するために2013(平成25)年に開設されました。
1918(大正7)年、愛媛県西条市に生まれた伊藤五百亀は、彫刻好きの父親の影響を受け、雑誌で帝展出展作品を見て感動したことから彫刻家を目指すこととなりました。
上京して多摩帝国美術学校に入学しますが、中途退学して吉田三郎に師事しています。
以来、何度も日展で入賞を果たしています。
五百亀は自らのことを「忍耐強い亀が五百も集まっているから」と本名に結び付け、謙虚に語りながら多くの優れた作品を世に残しました。
館内
おわりに
三館とも西条の歴史的中心部に位置していますが、とても地味な文化施設です。
地味ではありますが、文化的には重要な役割を果たしていると思います。
このような文化を大切にしている西条市はまさに文化都市と言えるのではないでしょうか。