大原富枝文学館
大原富枝生誕の地に記念の文学館を設立して、その生涯の歩みと作品を紹介しています。
生誕の地である本山町は山間にあり、自然豊かで静かな環境に恵まれているところです。
目の前に流れている吉野川は彼女の生涯にとって、忘れ得ぬ思い出の地であり、作風にも大きな影響を与えているようです。
文学館は、かつての簡易裁判所の建物を活用しており、歴史を感じさせる外観としっかりした内部の作りになっていました。
入り口右手には1992(平成4)年に満80歳の誕生日を記念して建立した石碑があり、碑文には「婉という女」の一節の直筆を刻んであります。
1Fの展示室
大原富枝の生涯の年譜や女流作家との交流の模様、趣味の茶道の所有人が展示されています。
また、代表作「婉という女」で描かれた野中婉の父である野中兼山についての詳しい解説がありました。
2Fの展示室
大原富枝の執筆していた書斎が東京から移されて再現されています。
昭和レトロな家具が並べられ、落ち着いた雰囲気の中で執筆していたことを伺わせます。
昔懐かしいカセットデッキが机の上にあり、執筆の息抜きに聴かれていたのでしょうか、中島みゆきのカセットテープが並べられていました。
茶室
コの字型の館の中庭には、茶室が設けられています。
「安履庵」と称し、広く愛好家の方々に開放しているようでしたが、残念ながら中を見学することは出来ませんでした。
大原富枝プロフィール
1912(大正元)年、高知県の本山町で小学校長の父と母の次女として誕生しました。
高知県女子師範学校へ通っている時に、喀血し結核のため10年間の自宅療養を余儀なくされてしまいます。
1941(昭和16)年に本格的に文筆業を目指して上京します。
1957(昭和32)年、「ストマイつんぼ」で第8回女流文学賞。
1960(昭和35)年「婉という女」で野間文学賞、毎日出版文化賞を受賞し、作家としての地位を確立していきました。
晩年は東京杉並に居を構えて、活動をしています。
代表作「婉という女」
主人公の婉は野中兼山の娘です。
父である兼山は土佐藩の家老として藩政改革に辣腕を振るいます。しかし、この改革があまりに苛烈であったために、藩を傾かせるものであるとして失脚させられます。
蟄居を命じられ自殺したとも病没であったともされます。
藩政を壟断したとされる父の兼山の罪を、その死後にも家族が背負わされ、宿毛に送られてそのまま40年に渡る長い期間、幽閉されてしまいます。
婉が3歳の時に幽閉が始まっており、結婚することも許されず、生涯独身を通すことになります。
幽閉を解かれた後の婉は医師として生計をたてながら、非業の死を遂げた父母や兄弟姉妹の菩提を弔うために生きることを決意しました。のち、お婉堂と言われる祠堂を建立し野中神社として祀っています。
野中兼山の娘であるということだけで、理不尽な人生を生きなければならなかった婉の生涯について描かれた物語です。
おわりに
のどかな田舎の風景が広がっている地域ですが、厳しい病気と時代に立ち向かった一人の女性作家の生き様を教えてくれる大原富枝文学館でした。
この地域出身である1人の女性作家を大切にしている、人々のやさしさをも感じることが出来る施設でもあると思います。
1Fの展示室横にサロンがあり、関連図書やビデオ視聴をしながらゆっくりと過ごせる場所です。
しおりの作成をすることが出来るようになっていたので、おみやげに作ってみました。
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