はじめに
標高750mの高さにあって、四国八十八ヶ所の中では3番目の高さ(四国八十八ヶ所霊場会HPより)にあり、「遍路ころがし」(遍路道の難所)という厳しい難所の一つです。
1984年(昭和59年)にお寺の近くまで有料の林道が開通し、車で行けるようにはなりましたが、12月下旬から2月いっぱいは不通となります。
かなり急で細い一車線の坂道なので、大型バスは通行ができません。
境内案内図
パーキングから境内までは、650mほど歩かなければなりません。
境内までは下りなのでスイスイと行けたのですが、帰りは上りだったのでメタボの体にはキツイものがありました。
境内
仁王門
仁王門から境内へ
本堂
本尊は大日如来さまです。
星供大師(ほしくだいし)
古来より天体は人の営みに関連するといわれてきました。
真言宗は秘密の教えといわれる密教なのですが、密教の占星術では「人の営みは、生まれながらに定まる<本命星>と毎年巡りくる<当年星>のもとにある」とされています。
星供養というのは、人の星回りの善い悪いがあり、災厄を祓ったりより良い一年となったりするように祈願することです。
弘法大師である空海は、星が森で星供養の修法をしたとされています。
大師堂
歓喜天
夫婦和合、商売繁盛に霊験があり、「叶わない願いがない」という聖天様(歓喜天)をお祀りしているお堂です。
縁起
寺伝によれば、7世紀末の頃、役行者(えんのぎょうじゃ)が石鎚山を見晴らすことのできる星ヶ森で修行をしていたところ、姿の見えた蔵王権現を石楠花(しゃくなげ)の木に刻んで祀ったのが始まりだとされています。
9世紀初めには空海(弘法大師)が星が森で星供養の修行を行い、大日如来を刻んで本尊としました。
江戸時代には、標高1400mの地点にある奥前神寺の地所を巡って前神寺と論争になっています。
明治初年の神仏分離令によって、廃寺とされ石鎚神社(当時は石鉄神社)の西遥拝所横峰社となってしまいました。
しかし檀家の願いによって大峰寺の名称で再建され、1909年(明治42年)には元の横峰寺の名に戻されることとなりました。
おわりに
山深い山中にあるお寺へ行くには、かつては歩いて上って行くしかありませんでした。今では林道が整備されていますが、それでもかなりきつい勾配の道を、エンジンの音をうならせながら上って行かなければなりません。
まさに修行の場と呼べるにふさわしい所にある札所だと思いました。