はじめに
車ではこれ以上、上って行くことのできない行き止まりの所にある山寺です。
讃岐山脈から吉野川に向かって流れる細い川の上流にあります。
三方を山に囲まれている地形から、この地は黒谷とも呼ばれていて、ここから地元では黒谷寺ともいわれているようです。
縁起
寺伝によると弘法大師がこの地で修行中に大日如来を感じたため、約55cmの大日如来像を彫って本尊とし、大日寺となったといわれています。
荒廃と再興を繰り返しましたが、江戸時代に徳島藩主蜂須賀家によって庇護され、今に至っています。
境内
大日寺石碑名から山門へ
巨大な青石に大日寺の名前がくっきりと織り込まれています。
吉野川に特産の青石でしょうか。
鐘楼門
2018(平成30)年に建てられたもので、弁柄を用いた鮮やかな朱色が目を行きます。
弁柄は土から取れる成分(酸化鉄)で、インドのベンガル地方より伝来したことに由来するそうです。
上層の梵鐘は以前の山門にあったものを移しています。
山門から本堂までの参道
八幡御社
鐘楼門から本堂に向かう参道の左手に、池を挟んで小さいお社が見えます。
大日寺の鎮守様である宇佐八幡をお祀りしている社です。
手水舎
砂岩をくりぬいて造られた手水鉢には文政五年(1822年)と刻まれています。
昔は湧水を引き込んでいたようですが白く濁っていたので「蛤水」といわれていました。
大日堂(本堂)
1649年に建立され、本尊の秘仏大日如来尊像が安置されています。
大師堂
江戸時代末期に建立されています。
三十三観音像
大日堂と大師堂を繋ぐ回廊には、西国三十三観音霊場にちなんだ観音像が安置されています。
江戸時代中期に大阪の信者より奉納されたもので、お参りすると現世の悪業が消え、極楽往生できるといわれている有難い仏様方です。
雨落ち
お寺の近くで12世紀頃の瓦や陶器を焼いていた窯跡が見つかっています。
この地域では鬼瓦がよく見られるのですが、歴史的に焼き物が盛んに生産されていた所のようです。
回廊の下にある雨落ちに鬼瓦を埋め込んで、雨だれを自然に楽しむようにされていました。おしゃれで素敵なデザインです。
薬師堂
元は床が土間造りになっていた建物で、病の遍路者が寝泊りする、いわゆる「通夜堂」の役割を担っていたということです。
おわりに
細い渓流に臨む、人里を離れた山中の閑静な地に建っている楚々とした雰囲気のお寺でした。
仏道修行をするにはもってこいの山寺といったところです。
はるばると訪ね来るお遍路さんたちにとっても、多くの御利益を得ることができるお寺だと思いました。