はじめに
室津という港を見下ろす小高い山の上に本堂があり、急な階段を上って行かなければなりませんが、ここからの見晴らしはとても素晴らしくてきれいです。
室津とは室戸の津という意味です。
『土佐日記』の作者である紀貫之は、海が荒れていたために室戸岬を回れず、室戸の津で10日間過ごしていたようです。
港の向こうには太平洋が広がっていて、大海原を堪能できる爽快さがありました。
駐車場
人家の密集している所には駐車スペースを作る場所がないので、駐車場は少し離れた港に指定されています。
境内
簡単な作りの赤い門が入り口の山門となっています。
とても急勾配の階段を上がると本堂です。
山門の左側に一木神社があります。
山門
大師堂
山門を入ってすぐ右側に大師堂があります。
写経大師像
急な階段の途中に建立されていました。
鐘楼兼仁王門
急な階段を上がっていくと、途中に鐘楼兼仁王門があります。
竜宮城の入り口みたいです。
仁王様
釣鐘
2階部分に釣鐘があります。
鐘楼門から振り返って見ると、大師堂と町並みが見えました。
本堂
標高約35mの山頂にある本堂は1975(昭和50)年に建立されました
ご本尊:楫取地蔵(かじとりじぞう)伝説の逸話
ご本尊は地蔵菩薩様ですが、梶取地蔵とも言われています。
①土佐藩主山内一豊が室戸沖で暴風雨に遭った時、何処からともなく僧が現れ船の楫を取って無事に入港する事が出来ました。
いなくなった僧を探していると、本尊の地蔵菩薩様が濡れていたので、僧が地蔵菩薩さまの化身であったことがわかりました。
これにより本尊は楫取地蔵と伝えられるようになりました。
②今昔物語によると「地蔵菩薩火難ニ値ヒ自ラ堂ヲ出ルヲ語ル」という火災の霊験談が書いてあります。
お寺が火災に遭った時、地蔵菩薩様が僧に化身して村人に知らせて難を逃れたという物語です。
このため古くは火事取りの意味として、かじとりじぞうと呼ばれていたようです。
縁起
お寺が建立されている港の近くにある山の形が地蔵菩薩の持つ宝珠に似ていることから、弘法大師が地蔵菩薩を刻んで本尊として、開創されたといわれています。
通称「津寺」とも呼ばれています。
長曾我部氏や山内氏の庇護を受けて隆盛を極めていましたが、明治になってから一時、廃寺とされてしまいます。
1883(明治16)年になってやっと復興することが許され、現在に至っています。
一木神社(いちきじんじゃ)
17世紀後半、土佐藩普請奉行の一木権兵衛は室津港の改修を命じられました。
しかし、室津港の入り口をふさいでいたとされる岩を取り除くことができず、工事は難航していました。
一木権兵衛は、この仕事を成し遂げたら一身を海神に捧げると祈願し、ついに完成しました。
一木権兵衛ゆかりの「お釜岩」
権兵衛が難儀をした岩で、鑿(のみ)の跡が多く残っています。
一木権兵衛顕彰の石碑
地元の人々によって一木権兵衛が祀られています。
社殿
おわりに
港町の風情ある町並みを見下ろし、溶け込んでいる札所です。
厳しい自然環境の中で生活している人々を優しく包み込み、見守っているかのようなお寺だと思いました。
また、地域の人々は、港の発展に命を懸けて尽くした一木権兵衛を忘れずに、代々、顕彰してきています。
先人の恩に対する地域の思いを感じることができました。