はじめに
鶴林寺は鶴林寺山の山頂近くの標高495m付近にあるため、阿波の難所とされる「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」の一つとされています。
麓から上って行く鶴林寺道は、遍路道として、初めて国の史跡に指定されています。
かつては「遍路ころがし」といわれる急峻な坂道を上らなければなりませんでしたが、今では、山門近くまで車で行くことができます。
山門から境内へ
境内
境内案内図
仁王門
仁王様の前には、眼光鋭い阿吽の鶴の像がありました。
本堂への階段
本堂
御本尊は地蔵菩薩様で「矢負い地蔵」とも呼ばれています。
昔、漁師がイノシシに射った矢が命中し、追いかけて行くと御本尊の地蔵菩薩の胸に矢がささって血を流していたそうです。猟師は殺生を懺悔して仏門に入ったとも自害したともいわれています。
この伝説から「矢負い地蔵」と呼ばれ、本尊にはその傷が残っているといわれています。
本堂前にも鶴の像があります。
御本尊降臨之杉
鶴林寺の縁起にある、雌雄の鶴が小さな御本尊を守っていたという杉の木です。
本堂の隣の斜面に「御本尊降臨之杉」として残っていました。
三重塔
江戸時代末期の文政6年(1823年)に建てられたものが現存しています。
江戸時代に建てられた三重塔は、徳島県ではこれだけというとても貴重なものだそうです。
大師堂
縁起
寺伝によると8世紀末に桓武天皇の勅願によって空海が開創したとされています。
空海がこの山で修行をしている時、雌雄の白鶴が小さな金の地蔵菩薩像を守護しているのを見ました。
空海は自らが刻んだ地蔵菩薩像の内に、鶴が守っていた小さな地蔵菩薩像を納めて本尊とし、寺名を鶴林寺と定めたということです。
その後、平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇から帰依され、源頼朝、源義経、徳島藩蜂須賀家などからも信仰されて大いに栄えました。
鐘楼
おわりに
人里離れた山中にあるために戦乱の兵火も免れており、木々に囲まれた静寂な雰囲気の中に古色蒼然とした伽藍が立ち並んでいる札所でした。
かつてはここまで来ることも難しく、難所といわれる札所でしたが、今では車で参拝することができます。
しかし歩き遍路の方にとっては、依然として厳しい修行の道であることには変わりありません。
徳島の山深い山中にある札所参りは、八十八ヶ所巡りをまさに体現しているものであると思いました。
21番札所太龍寺への遍路道