はじめに
JR高松駅のすぐ目の前にある玉藻公園は、高松藩松平氏の居城であった高松城の跡地にある公園です。
高松城は、万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国の枕言葉に「玉藻よし」と詠んだことに因んで玉藻城とも呼ばれています。
城は堀が海と繋がっていて、直接、海水が流れ込んでおり、チヌなどの海の魚が泳いでいます。
すぐ近くの周辺には近代的なビルやマンションが立ち並んでおり、街の中心に近い市民の憩いの場ともなっています。
高松城
歴史
1587年に讃岐の国を豊臣秀吉から与えられた生駒親正が、この地に城を築きました。
瀬戸内海の海水を堀に引き込んだ城は、今治城(伊予国)・中津城(豊前国)と並んで日本の三大水城の一つといわれています。
今治城について詳しくは、こちらをご覧ください。↓↓↓
生駒市の治世は四代54年間続きましたが、1640年の生駒騒動といわれるお家騒動によって改易され、1642年に常陸の国下館藩主の松平頼重が入城しました。
頼重は徳川家康の孫で、水戸光圀の兄にあたります。
以来、松平氏の治世が11代228年間に及び高松は城下町として栄えていきました。
城は明治になって廃城となり、やがて高松市が譲り受けて1955(昭和30)年より高松市玉藻公園として一般公開されています。
高松城の隣に琴電の駅があり、お堀端を電車が走っています。
建物
鞘橋(さやばし)
二の丸から本丸の天守へ渡る橋です。
天守閣跡
本丸にある天守は「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と謡われているように、3層4階+地下1階で四国最大の規模であったといわれていますが、1884(明治17)年に老朽化により取り壊されました。
平成になってから修復工事が進められ、発掘調査も行われています。
天守閣に関しては資料収集をしながら復元を目指しており、いつの日か往年の雄姿が見られることでしょう。
月見櫓・水手御門・渡櫓
城主は真ん中にある水手御門から小舟に乗って、沖に止まった大船に向かいました。
月見櫓は、城主の船が着くのを見る「着き見」が由来といわれています。
飛雲閣
江戸時代、藩の政庁や藩主の住居として飛雲閣と呼ばれる広大な建物がありましたが、明治になって老朽化のために取り壊されてしまいました。
その後、大正時代に松平家の高松別邸として現在の飛雲閣が完成しました。
2012年(平成24年)には国の重要文化財に指定されています。大正期の大規模かつ本格的な木造の近代和風住宅建築として貴重なものです。
おわりに
高松のシンボルである高松城ですが、残念ながら天守閣がありません。
天守閣を再建するべく資料収集を進めてはいるようですが、十分ではないようです。
いつか決定的な資料がどこかで発見されて、素晴らしい天守が再建されることになれば、高松のランドマークとして多くの人々の心にインパクトを与えることと思います。
その日が一日でも早く来ることを願っています。