はじめに
睡蓮の時期になったので高知北川村に「モネの庭」に行ってきました。
まるで絵画の世界のような、睡蓮の花が咲く庭を見ることができました。
なぜ高知県北川村に「モネの庭」が?
北川村は高齢化と人口の減少が進む典型的な山村です。
かつて国内有数の産地である柚子(ユズ)を中心とした村おこしを目指していましたが、うまくいきませんでした。
そのために新しい産業の創造を検討する中で、森林地域であることを生かして自然の中に庭園を造り、観光と文化の拠点づくりを目指すこととなったそうです。
以来、紆余曲折を経て、フランスのジヴェルニーにある印象派の画家クロード・モネの庭へとたどり着くことになりました。
こうしてモネが丹精込めて作り上げた庭を再現した、北川村「モネの庭」マルモッタンが2000(平成12)年に開園しました。
モネの庭
北川村「モネの庭」マルモッタンは「水の庭」「ボルディゲラの庭」「花の庭」の3つの庭から構成されています。
水の庭
ジヴェルニーにあるモネの庭から株分けされた睡蓮があります。
赤や白の花が可憐に咲き誇っていました。
ボルディゲラの庭
地中海を訪れたモネが感動して描いた作品から発想した、北川村「モネの庭」オリジナルの庭です。
青い睡蓮
モネはジヴェルニーで青い睡蓮を咲かせたいと願っていましたが、気候の関係で咲かせることができませんでした。
温暖な気候の北川村では、青い睡蓮が咲いています。
リヴィエラの小屋
高台にある休憩所です。テラスからは太平洋を望むことができます。
花の庭
ギャラリー、ショップ、カフェがある建物を通り抜けると、色とりどりの花が咲き誇る庭があります。
2Fギャラリー、1Fショップ
テラスから見る花の庭
バラの花「クロード・モネ」
花の庭にある温室で「クロード・モネ」という品所のバラの花が即売されていました。
クロード・モネとは(1840〜1926)
印象派の巨匠クロード・モネは、1840年にパリに生まれ、少年時代をノルマンディの片田舎で過ごしています。
1859年にパリに出て絵の勉強を始め、シスレー、ルノワールといった仲間と知り合います。
これらの仲間達と展覧会を開催し、モネが出品した「印象・日の出」という作品名から「印象派」といわれるようになりました。
やがてモネは、フランス北部にあるジヴェルニーの景色に心奪われ、43歳で移り住みました。
この地でモネの理想とする家と庭を作り上げます。
ジヴェルニーの庭は彼の創造の源泉となり、「睡蓮」などの多くの名作を生み出す舞台となりました。
北川村「モネの庭」マルモッタンは、この庭と家を再現したものです。
おわりに
山に囲まれた自然豊かな北川村に、世界的名声のある巨匠に関連した庭があることに驚きました。
しかし、そうした自然があるからこそ、この場所に存在しているとも言えます。
時間と空間は隔たりがありますが、自然を愛するモネと北川村の人々のつながりを感じました。