はじめに
何の変哲もない田舎の風景の中に種間寺はあります。伽藍が古くて大きくて立派であるという印象でもなく、ごくごくありふれたお寺という感じです。
普通のお寺ではありますが、お遍路さんが絶え間なくやってきて、やさしく見守ってくれているという温かみのある雰囲気を醸し出していると思いました。
境内
鐘楼・本堂・大師堂・子安観音・徳光さんの句碑・しだれ赤松
築山の上にある鐘楼
広い駐車場のすぐ側に、見事な築山とその上に鐘楼がありました。築山の見事さにしばし見入ってしまいました。
入り口
境内へは寺名を刻んだ石柱があるだけです。
修行大師さまに出迎えていただきました。
境内全景
本堂
ご本尊は薬師如来さまで、安産のお薬師さんとして親しまれているようです。
過去の台風被害の後、コンクリート造りにしたそうです。
さわり大黒
本堂には、高さ100cmもある木造の大黒さまが2008(平成20)年に開眼され鎮座しています。
大師堂
観音堂
慈悲深いお顔で子どもを見つめている子安観音さまが祀られています。
安産を祈願する人が底の抜けたひしゃくを奉納しています。
底がない柄杓は通りがよい=母親が安産でありますように、ということからのようです。
徳光和夫さんの句碑
2012(平成24)年に「徳さんのお遍路さん」というテレビの取材があったようです。
「 達観を 地で行く種間寺 ご住職 」
しだれ赤松
樹齢230年という古木で、元は鹿児島の庄屋にあったものが、福岡にある松専門業者の看板木となり、2007(平成19)年に移植されました。
大変、枝ぶりの良い立派な松です。
どういった経緯があったのかは分かりませんが、九州との由縁があるのですね。
縁起
6世紀末の用明天皇の時代、百済の仏師たちが四天王寺(大阪)の造営にあたっていました。お寺が完成した後、国に帰っている途中で暴風雨におそわれ、本尾山に近い秋山の港に漂着しました。
彼らは、海上の安全祈願のために約145㎝の薬師如来坐像を彫って本尾山の山頂に祀りました。これが寺の起源とされています。
その後、空海がこの地を訪問し、薬師如来像を本尊として安置し、諸堂を建てました。
この時に唐から持ち帰った米、麦、あわ、きび、豆orひえの種子を境内にまいたことから、種間寺と名付けたとされています。
10世紀中ごろには、村上天皇が「種間」の勅額を下賜されました。
江戸時代には土佐藩主山内家によって庇護されており、広大な田畑や山林を寄進されていました。
明治になって、神仏分離令のために廃寺となってしまいましたが、1880(明治13)年に再興されています。
おわりに
少し行けば太平洋の荒々しい雄大な景観を見ることができますが、ここは穏やかな時間が流れる静かな場所です。
田舎の原風景の中にある景観の風情が、訪れた人にとっては落ち着いた安らげるお寺として、安心感をもたらしてくれるかのようでした。