はじめに
寺の境内には、『井戸村正心小学校跡 創立明治八年一二月一日』の石碑が建っていました。
その昔から、井戸寺はこの地域の中心として重要な役割を果たしており、地元の人々に慕われる大切な存在のようです。
今でも、村の子どもたちのにぎやかな声が聞こえてくるようです。
境内
山門
徳島藩主・蜂須賀家の屋敷から移築された武家造りの門です。
残念ながら修復中でしたので、全貌を見ることができませんでした。
完成した暁には、堂々とした風格のある立派な姿を見せてくれると思います。
本堂
1968(昭和43)年、失火で焼失してしまいましたが、3年後に耐久性のあるコンクリート造りで再建されています。
主尊と両脇に三体ずつの七体の薬師如来が本尊です。
大師堂
大悲殿(六角堂、護摩堂)
堂の前にある石柱には「護摩堂不動明王」「阿波西国三十三番霊場結願所 本尊国宝十一面観音」とありますが、国宝ではなく重要文化財です。
本尊十一面観音菩薩は六角観音堂に安置していましたが、奥殿としての収蔵庫に安置しているようです。
日限大師堂
日を限って心願をかけると、直にご利益を受けられるといわれています。
おもかげの井戸
弘法大師が掘った伝説の井戸で、日限り大師堂の中にあります。大師自ら井戸に面影を映し「おもかげをうつしてみれば井戸の水、むすべばむねのあかやおちなむ」と詠まれたといわれています。
覗き込んで自分の姿がうつれば無病息災、うつらなかったら3年以内の厄災に注意するといわれています。
縁起
寺伝によると天武天皇の勅願により673年に創建し「妙照寺」と号した大寺院であったということです。
本尊は薬師瑠璃光如来を主尊とする七仏の薬師如来坐像で聖徳太子作、脇仏の月光菩薩と日光菩薩は行基菩薩作と伝えられています。
815年に空海(弘法大師)が来訪し、十一面観世音菩薩を彫って安置したとされます。
その時、地元の人々が水不足で困っていることを知り、一夜にして井戸を掘ったので、この地を井戸村と呼ぶようになり、寺名も「井戸寺」と改めたといわれています。
南北朝時代以来、たびたびの兵火に遭って伽藍を焼失してしまいます。
江戸時代には徳島藩主蜂須賀氏によって庇護され、復興してゆきます。
かつて納経は「妙照寺」の名が使われていたようですが、1916(大正5)年に井戸寺を正式名称として使用するようになりました。
おわりに
その昔、阿波国が置かれたころには阿波国府が置かれて、まさに阿波の中心として栄えていた地域に井戸寺はありました。
天武天皇や聖徳太子といった伝説的な人物とも関わりがあるとされることにも、その歴史の重みを感じることができます。
今では、人々の願いを受け止めてくれる信仰のお寺として、地元の人々やお遍路さんに支えられたお寺という感じでした。