はじめに
與田寺(よだじ)は、「四国八十八ヶ所総奥の院」とされています。
かつて第88番札所大窪寺を参拝した関西以東から訪れるお遍路さんは、船で国に帰る時には、三本松の港から出航していた汽船を利用していました。
船待ちの時間を利用して與田寺に参詣し、お大師様に四国八十八ヶ所を無事に回れたことを感謝してから乗船したようです。
厄除けのお寺としても知られており、年間を通して多くの参拝者があります。
境内
仁王門
トイレの神様
仁王門を入ってすぐ左手にトイレの神様である烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)像が置かれています。
昔から人は便所そうじの意義を体験的に知っており、安産の神として信仰し、祀られていたということです。
仁王門から鐘楼門へ
本堂
鐘楼門を抜けると本堂があり、本尊は薬師如来さまです。
大師堂
門を入って右手に大師堂があります。
多宝塔
1984(昭和59)年に建立された高さ13mの塔です。
弘法大師入定1050年忌の記念事業として、石山寺の国宝をモデルにして建てられました。
厄除け不動尊
厄除け石段
石段の下には厄除けのありがたいお経が刻まれているそうです。
寿老人
右手に宝の杖を持っていて、無病息災・延命長寿・ボケ封じの神様としてご利益があります。
隣は長生きの象徴というお供の鶴で、これもなでておくとご利益があるようです。
守護仏のカエル
カエルは與田寺の守護仏で、外出から無事「カエル」の意味だそうです。
災厄から逃れられるので、身代わりガエルともいわれています。
縁起
寺伝によると、奈良時代に行基が法相宗の寺として始められ、後に空海が真言宗に改宗し、神宮寺としたといわれています。
嵯峨天皇の時代に勅願寺となり、中興の祖である増吽(ぞううん)僧正の時代は讃岐国屈指の大寺院となりました。
豊臣秀吉による長宗我部氏攻撃の兵火を受けて被災しましたが、高松藩初代藩主である松平頼重の帰依により復興されています。
明治時代になり、與田郡の所在であったので與田寺とされました。
「厄除けの寺」、「四国八十八箇所総奥の院」として広く知られており、たくさんの参拝者を集めています。
増吽僧正によって植樹されたとされる、樹齢600年のムクの木が仁王門前にあります。
おわりに
りっぱな堂塔伽藍を備えた寺院です。
特に朱色の鮮やかな多宝塔は、ひときわ目を引いていました。
境内のあちこちに巨木がそびえ立っていて、寺院の長い歴史を感じさせてくれます。
また、七福神や十二支尊像をはじめとしてたくさんの石像も建立されており、自然に手を合わせて礼拝することができます。
長年に渡って、多くのお遍路さんや厄除け祈願の人々の信仰を集めているお寺だと思いました。
納経所の前には、かわいらしい一休さんの像が置かれていました。