はじめに
切幡山の中腹(標高155m)に10番札所切幡寺があります。
幹線道路から駐車場までは、やっと車1台が通れるほどの細い道です。
道の所々にお遍路さん向けの休憩所や売店が残っている門前町となっています。
今は人々の往来もなく寂しい限りのようですが、往時の繁栄を偲ぶことができます。
お遍路さんが休憩することのできる家の軒先には、
かわいい案山子のお遍路さんが置かれていました。
境内
仁王門、333階段、経木場、本堂、大師堂、大塔、観音像
仁王門
333階段
ここから333階段という表示を見て、ちょっとビビってしまいました。
経木場
階段の途中にありました。経木というのは薄い木にお経や戒名を書いて供養するものです。
お地蔵さまが、かわいいイチゴのよだれ掛けをしていました。
本堂
大師堂
豊臣秀頼ゆかりの大塔
徳川家康の勧めで、豊臣秀頼が亡き父の秀吉の菩提を弔うために、1607年、大坂堺の住吉大社神宮寺に建立したものです。
明治の神仏分離令によって神宮寺が廃寺となったために、切幡寺が買い受けて10年をかけて解体移築されました。
本邦で唯一、1層2層ともに方形ということで国の重要文化財になっています。
はたきり観音
機織りの娘が即身成仏したという、右手にはさみを左手に布を持つ観音様の像です。
縁起
空海がこの地で修行していたとき、ほころびた僧衣を繕うために地元にいる機織りの娘に布切れを求めました。
娘は織かけの布を惜しげもなく切って差し出しました。
空海はお礼に「何か望みはないか?」と尋ねたところ、亡き父母に代わって観音様をつくってお祀りし、仏門に入って修行をしたいと娘が言いました。
空海は願いを受けて千手観音像を刻み、娘を仏門に導きました。
すると娘はたちまちに即身成仏して千手観音菩薩に変身したということです。
空海がこのことを嵯峨天皇に伝えたところ、勅願によってお寺が創建されました。
こうした由縁から、切幡寺は「女人即身成仏の寺」として知られています。
境内全景
おわりに
車で上がることができないので、善男善女のお遍路さんは、みんな333段の階段を上ることになります。
森閑とした森の中の階段を苦労して上って行くことは、弘法大師と同じ体験をしているようで、仏道修行の一端を感じているように思いました。
階段を上がり降りするのは、息が切れるし膝がガクガクするしで体に応えましたが、境内から見る阿波の景色を堪能することができました。