定年後の生活ブログ

定年後に行政書士となり、四国のことを発信しています

二宮忠八飛行館と道の駅「空の夢もみの木パーク」

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はじめに

琴平から徳島へ向かう山あいの国道沿いに、突然、柱の上に本物の中古飛行機の置かれた看板の柱が出現します。

ここは「空の夢もみの木パーク」という道の駅になっています。

周囲を山に囲まれた道の駅なのに、飛行機とか「空」の言葉が付いた道の駅の名前があるのか、不思議に思ってしまいます。

ここは世界で初めて、飛行の原理を着想した二宮忠八ゆかりの地ということでした。

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二宮忠八飛行館

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二宮忠八とは

二宮忠八は、1886年愛媛県八幡浜市で生まれました。

12歳の時に父が亡くなり家が困窮したために奉公に出て働きはじめます。

収入の足しにと、自ら考案した奇抜な凧を売り出したところ好評を博しました。

この経験が後の飛行機作りに影響したともいわれています。

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1887(明治20)年、21歳で徴兵された忠八は丸亀歩兵連隊に入隊します。

忠八は野外演習の帰りにもみの木峠で昼食をとっているときに、羽ばたいていないのに滑空しているカラスを見ました。

カラスのように、風を翼で受けとめることができれば、羽ばたかなくても空を飛べるのではないかと考えます。飛行原理の発見でした。

忠八は研究を重ねて、「カラス型模型飛行器」を完成させました。飛行実験では、10メートル飛んだといわれています。

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カラス型模型飛行器

その後、二枚翼の「玉虫型飛行器」の完成を目指して、何度も軍に上申しましたが却下され続けます。

この間、1903年にライト兄弟が世界初の有人飛行機を成功させてしまいました。

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玉虫型飛行器

晩年は、飛行機事故による犠牲者が多いことを嘆き、航空界の安全と航空殉難者の慰霊のため、自宅に「飛行神社」を建立します。

忠八は、有人飛行機を飛ばすことはできませんでしたが、ライト兄弟が成功する前に飛行原理を着想しており、その実現に向けた人生は、近年「日本の航空機の父」または「飛行機の真の発明者」とも称されています。

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飛行神社

二宮忠八翁が、航空の安全を祈願して京都八幡市の自宅に祀った「飛行神社」の分社としてここに建立されました。

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道の駅「空の夢もみの木パーク」

「二宮忠八飛行館」の隣は、地元である仲南町の新鮮な野菜や特産品の販売、ドライバーさんたちへの食堂といった施設が整っている道の駅です。

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産直市と食堂

おわりに

山あいの地で世界初の飛行機の着想を得た忠八の夢が、今は現実のものとなっています。忠八のような、子供たちの夢を見る力を育むために、ゆかりの地に飛行館が開館されました。

忠八のような人物が、再び、新しい時代を切り開く技術をこの地から生み出してくれることを願っているのだと思います。