定年後の生活ブログ

定年後に行政書士となり、四国のことを発信しています

ほたるの里と後藤田正晴

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はじめに

吉野川から南に向けて、5kmほど山を分け入った所に吉野川市美郷町という、何とも美しく響きのよい地域があります。

吉野川の支流である川田川にそって、山間の自然豊かな環境の中に抱かれている民家が点々と存在している所です。

美郷町とは

1955(昭和30)年に、中枝村、東山村、三山村が合併して美郷村になりました。それぞれの村の字をとって、中東村とか三郷村とか案が出ましたが、「これからは周りが都市化するので、ここは美しい郷にしよう」ということで美郷村になったということです。

2004(平成16)年に合併して吉野川市美郷町となりました。

2~3月に開花する梅の花は美郷のシンボルで、県下有数の梅の産地としても知られており、約60haの土地に約1万6000本もの梅の木が栽培されています。

4月に咲きほこるシバザクラは急峻な山の斜面にある段々畑や家を守る石積みを鮮やかに飾っています。

5月~6月には国の天然記念物に指定されているほたるが乱舞します。

美郷町は文字通り『美しい故郷(ふるさと)』です。

人口はわずか900人程ですが、美郷町の美しい自然を求めて年間6万人の観光客が訪れるといいます。

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美郷ほたる館

美郷町のゲンジボタルは、1970(昭和45)年に「美郷のホタルおよびその生息地」として国の天然記念物に指定されており、ホタルが飛ぶ流域面積、数、期間とも全国でも有数の地域です。

美郷に群生しているほたるに関する展示や研究、飼育を行っています。

5月中旬から6月中旬にかけて、多くの観光客がホタルを鑑賞するために来られるようです。

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外観

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内部

美郷物産館(みさと屋)

地元産の新鮮な野菜や加工食品が販売されています。

特に美郷特産の梅を使った、日本で初めて梅酒特区の認定を受けた梅酒や、梅干し、梅エキス、梅ジャムなど梅関連商品が豊富に販売されています。

お食事処も併設されており、美郷産の旬の野菜を使った日替わり定食や手打ちの田舎そば・うどんがあります。

地元のお母さん方が心を込めて作っているものばかりでした。

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後藤田正晴顕彰記念碑

地元、美郷町の出身者である後藤田正晴氏の顕彰施設です。

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後藤田氏は、1914(大正3)年に吉野川市美郷町に生まれました。

東京帝国大学卒業後、内務省に入省しますが陸軍に徴兵され台湾で終戦を迎えています。

戦後、警察庁に入り1969(昭和44)年には警察庁長官に就任すると、よど号ハイジャック事件やあさま山荘事件といった重要事件の対処に追われました。

1976(昭和51)年に62歳で徳島全県区より衆議院議員に初当選して以後、7期連続当選しました。

その間、さまざまな閣僚を務め、重要な役割を果たしています。

中曽根内閣では通算3期の官房長官を務めました。

「カミソリ後藤田」といわれ長く権力の中枢に在りましたが、82歳で政界から引退しても「御意見番」として影響力を持ち続けています。

2005(平成17)年、91歳で死去されました。

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おわりに

ほたるが乱舞し、シバザクラが咲きほこる自然豊かな山間の村で、昭和を代表する後藤田正晴という政治家が誕生しています。

奇しくも吉野川を挟んで、北側の対角線上には、こちらも昭和の総理大臣である三木武夫が生まれた場所があります。

二人は阿波戦争と呼ばれるほどの激しい選挙を繰り返していますが、政治家としてはどちらも日本の政治に大きな影響力を及ぼした人物であり、徳島の人々にとっても忘れられない偉大な政治家です。

阿波の美しい自然の中から誕生した後藤田正晴氏は、故郷の山々の中で地域の人たちの誇りとなって顕彰されていました。

三木武夫元総理について、詳しくは下記をご覧ください。↓↓↓ 

www.teinenoyaji.com